\u52a9\u8a5e\u300c\u304c\u300d\u3068\u300c\u3092\u300d.pdf - \u52a9\u8a5e\u300c\u304c\u300d\u3068\u300c\u3092\u300d\u306e\u7f6e\u63db\u6027\u306b\u3064\u3044\u3066 \u2500\u6587\u4f8b\u3068\u4e16\u4ee3\u306e\u6bd4\u8f03\u2500 \u6771\u2003\u5c71\u2003\u7be4\u2003\u898f Replacement

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Unformatted text preview: 助詞「が」と「を」の置換性について ─文例と世代の比較─ 東 山 篤 規 Replacement of Particle “Ga” for Particle “Wo” in Japanese Language Atsuki Higashiyama We use a number of particles to connect words in sentence. There are several sentences whose predicates represent ability (i.e., ...dekiru), hope (i.e., …tai), and like-dislike (i.e., …suki). In these sentences, the object of the predicate has been indicated by “ga,” but nowadays, “ga” has a tendency to be replaced by “wo.” In this study, we presented 18 sentences lacking the particle in question and asked 171 young and 126 senior adults to complete each sentence by filling in the blank with “ga” or “wo.” The results showed that 1) “ga” was strongly favored in some sentences (e.g., Benkyo ga dekiru), but not in other sentences (e.g., Piano ga/wo hikeru), 2) for some sentences, senior adults liked to use “ga,” and young adults likes to use “wo,” and 3) “ga” was generally chosen for the predicates indicating state (e.g., …tai), and “wo” was chosen for the predicates indicating action (e.g., …tagaru). It is considered that we use “ga” when emphasizing an object of the predicate and use “wo” when stating the object moderately. つぎの2文は会話などでよく用いられる。 「折り紙が折りたい」 「折り紙を折りたい」 はじめの文では,折り紙のあとに,助詞「が」が用いられているのに対して,ふたつ目の文では別 の助詞「を」が用いられている。どちらの文も,だれかが,折り紙を折りたいことを表明している。 はじめの文が,「他でもなく折り紙が折りたいのです」というように,折り紙を強調しているのに 対して,二番目の文には,そのような強意が感じられない。しかし,どちらも文意は同じである。 このように「が」と「を」を置き換えても同じ意味を伝える文を,「が」と「を」に置換性が成り 立つとよぶことにする(庵,1995a,b)。 では,この場合,なぜ「が」でも「を」でもよいのだろうか。私は日本語文法に関してはまった くの門外漢であるが,仕事柄,雑文を書かなければならないので,「が」でも「を」でもよいと言 われると少し当惑する。日本語における助詞の重要性はいろいろな書物の中に述べられているし, 私自身もそのことを認識しているつもりなので,どちらでもいいと言われると釈然としない。これ には何か事情があるはずだと思う。この論考は,その辺の事情を探ろうとしたものである。 71 助詞「が」と「を」の置換性について ところで, 「折り紙が折りたい」という文の「が」のはたらきは何であろうか。この文では, 「が」 は,折ってみたい対象が折り紙であることを意味している。この文には,折りたいと思う主体は明 示されていないが,その主体が,たとえば私であるとき,そのことをはっきりと示そうとすると, 「わたしは,折り紙が折りたい」となる。つまり, 「折り紙が折りたい」という文の主体は「折り紙」 ではない。したがって,この文の「が」は主語を表していない。 この文例にみられるような「が」は,一般的な辞書(広辞苑の「が」の項目)や文法書(山口・ 秋本,2001)にしたがうと,希望,好悪,能力などの対象を表していると考える。これと同類のも のには次のようなものがある。 (わたしは)勉強ができる・・・(能力) (わたしは)英語が読める・・・(能力) (わたしは)彼のことが好き・・・(好悪) (わたしは)時間がほしい・・・(希望) ここで使われている「が」は,いずれも各文の述部(できる,読める,好き,ほしい)の主語では ない。主語はカッコ(この例では「わたし」)で示したところに置かれるか,前後の文脈からわか るときは省かれる。 では,この4文例のすべてにおいて,最初の文例「折り紙が折りたい」と同じように「が」と 「を」の置換性が成り立つのであろうか。もし置換性が成り立つとすれば,単純な規則が見つかっ たことになるが,事態はそれほど単純ではない。本稿では,「が」を用いて希望,好悪,能力など を表す述部をもち,その対象を「が」によって表している課題文を用いて,各文の「が」と「を」 の置換性について検討した。また成人前後の青年と中高年を回答者にして,「が」と「を」の使用 の変化を検討した。助詞の使い方は時代とともに揺れるとされるが,その揺れ方を観察することに よって助詞の性格が明らかにできると考えた。 はじめに,上で述べた5種類の述部を中心にして,関連事項について考察してみる。 「たい」と「たがる」 希望の助動詞といわれる「たい」が文末に付くと,「が」と「を」の置換 性が成り立つ。ちなみに,うえの最初の文例から「たい」をとって,動詞の終止形「折る」にする と,つぎのようになる 「折り紙が折る」 「折り紙を折る」 この場合,前者の文は不可解な意味をなし,「が」と「を」の置換性が成り立たない。 希望の助動詞には「たい」のほかに「たがる」があるが,「たがる」には「が」と「を」の置換 性が成り立たない。 「折り紙が折りたがる」 「折り紙を折りたがる」 この場合も前者の文は不可解である。おそらく「たい」は折りたいという状態(形容詞的活用) を表すのに対して,「たがる」は折ろうとする能動的動作・意思(動詞的活用)を表し,「が」と 「を」の置換性は,状態を表す述語に対して成り立ちやすいのであろう。 「好き」と「きらい」 「彼のことが好き(です)」 「彼のことを好き(です)」 72 この場合も,「が」「を」の置換性が成り立つ気がするが,「が」の方が自然である。 ところで,「きらい」についてはどうだろうか。 「わたしは,ネコがきらいです」 「わたしは,ネコをきらいです」 「好き」のほうが「きらい」よりも「が」と「を」の置換性が成り立ちやすい気がするが,断定 はできない。 「ほしい」と「ほしがる」 「ほしい」ということばも,「が」と「を」の置換性が成り立ちそう である。 「選手はだれでも,金メダルがほしいものだ」 「選手はだれでも,金メダルをほしいものだ」 後者の文は,若干,ぎこちない感じを与えるが,理解ができなくはない。ところで文末の「もの だ」をとって「ほしい」と言い切ったときはどうだろうか。 「選手はだれでも,金メダルがほしい」 「選手はだれでも,金メダルをほしい」 後者の不自然さが増すようである。「ほしい」という語が,形式名詞「もの」に繋がる修飾語と してはたらいたとき,「が」と「を」の置換性が高まるようである。 ところで,文末の「ほしい」を「ほしがる」に置き変えると, 「選手はだれでも,金メダルがほしがる」 「選手はだれでも,金メダルをほしがる」 となり,前者の文は意味が通らなくなるが,後者の文は,前の文よりもいっそう自然な感じになる。 このことから動詞的よりも形容詞的ことばが述部に置かれたときに,「が」と「を」の置換性が成 り立ちやすくると思える。 「読める」「折れる」「弾ける」「図れる」など 普通の動詞「読む」「折る」「弾く」「図る」から 能力を表す動詞に変化した「読める」「折れる」「弾ける」「図れる」に対して,「が」と「を」の置 換性が成り立つようである。 「折り紙が折れる」 「折り紙を折れる」 この文では,たとえば,幼稚園児が園で習った折り紙を母親に誇らしげに示しながら「おかあさ ん,折り紙が(を)折れるようになったよ」といっている状況を想像してもらうとよい。この場合 は,「が」と「を」の置換性が成り立っているようである。 つぎの例はどうだろうか。 「ピアノが弾ける」 「ピアノを弾ける」 さらにつぎの例はどうだろうか。 「皆様との交流が図れる」 「皆様との交流を図れる」 いずれの場合も,「が」と「を」の置換性が成り立ちそうである。しかし,「が」は「を」よりも 自然ないい方であり,「を」はどこかぎこちない。このぎこちなさをなくすにはどうすればよいの だろうか。文の前後にことばを補って文脈を豊かにしてみる。 73 助詞「が」と「を」の置換性について 「教員採用試験に臨んで,彼はピアノが弾けるようにした」 「教員採用試験に臨んで,彼はピアノを弾けるようにした」 後者の文のぎこちなさが軽減されたように感じる。 「これを機会に,皆様との交流が図れる場を設けます」 「これを機会に,皆様との交流を図れる場を設けます」 この場合も受け入れやすくなったのではなかろうか。 「できる」 「勉強ができる環境に自室を整えた」 「勉強をできる環境に自室を整えた」 この場合,前者は自然であるが,後者は不自然であるものの,まったく不適切とも言えない。世 代や場所によっては,このような表現も可能かもしれない。ただ,「できる」と言い切ったときに 「を」を使うことは,かなり不自然である。 「勉強ができる」 「勉強をできる」 このようにして「が」と「を」の置換性が成り立ちそうな文例を検討していくと,次のようなこ とが浮かび上がってくる。1)「たい」「好き」「きらい」「ほしい」などのことば,すなわち,希望 や好悪などの状態を表現する語が述部に使われると「が」と「を」の置換性(同頻度で選択される 傾向)が成り立ちやすくなる。2)状態的,形容詞的ことばが述語になるときに,「が」と「を」 の置換性が成り立ちやすくなるが,動作的,動詞的ことばが述語になると「を」が選択されやすい。 3)能力を表す動詞に対しても「が」と「を」の置換性が成り立ちそうである。これに加えて「で きる」もそのような雰囲気をもっている。4)「が」と「を」の選択には文脈が関係している。 調査1 上で述べた4仮説の真偽を確かめるために,次に掲げる質問紙を作成して集団的に実施した。こ の質問紙では,各回答者に,空欄を設けた短文を示して,「が」あるいは「を」のうち適切な助詞 を書きこむように求めている。 回答者 京都市山科区にある大学において,著者が担当していた一般教養的講義に出席した 171 大学生(男 21,女 150)。年齢は 18 歳から 20 歳まで。 実施時期と場所 2006 年9月2日。大講義室において授業の一部を割いて一斉に実施。 質問紙 質問紙には,次に示す前文に続いて,表1の左側に示した 18 課題文が A4 版の紙に印字 して与えられた。 「これは現代日本語の助詞の使い方を調べために作成した質問紙です。次の各文の中に示した 下線部に,「が」か「を」のどちらかひとつを入れて,なめらかで自然な文をつくろうとしていま す。「が」と「を」のうち適切な方を選んで,下線部のうえに書き込んでください。国語の本を見 たり,他人に聞いたりしないで,ご自身の感じにしたがって正直に答えてください。」 課題文の順序は全回答者に対して表1に示した順序で印刷されていた。回答者は,各課題文を自 分のペースで読んで,「が」あるいは「を」を直接課題文の中に書いた。最後の課題文のうしろに, 回答者の性別と年齢をたずねる欄を設けた。回答に際して時間の制限を課さなかったが,どの回答 74 者も 10 分以内で答えた。 結果 表1の「青年」の列に結果を示す。「が」を選んだ回答者数をカッコの左側に,「を」を選んだ回 答者数をその右側に示す。取り得る最大数は 171,最小数は0。ただし,不明反応が混じっていた 課題文については,「が」と「を」の反応を合計しても 171 に達しない。 もし全回答者がランダムに「が」あるいは「を」と反応すれば,その母集団は平均 85.5 人,標準 偏差 6.5 人の正規分布に近似するので,「が」あるいは「を」選んだ回答者が,98 人を超えたときは 5%の水準で(†),102 人を超えたときは1%の水準で(‡),平均 85.5 よりも有意に大きいというこ とができる。したがって,有意差の得られた課題文では,「が」と「を」の置換性が成り立たずに, 「が」あるいは「を」のどちらか一方の助詞が有意に選ばれたといえる(岩原,1970)。 「たい」と「たがる」 課題文1では,「折り紙が折りたい」を選択した者は 59 人,「折り紙を折 りたい」を選んだ者は 112 人であり,ほぼ3人に1人は「が」を,残りは「を」を選択したことに なる。これは,「が」よりも「を」を回答者は有意に多く選んでいることを示しているが,「が」を 選んだ者が約3割もいたということは注目に値する。ちなみに課題文2では圧倒的に「折り紙を折 る(171 人)」が選ばれているので,課題文1では,助動詞「たい」の付加が「が」の選択を増やし たと考える。対照的に,「たがる」という動作を表す助動詞を末尾に置くと(課題文3),ほぼ全回 答者が「折り紙を折りたがる(170 人)」を選んだ。 「好き」と「きらい」 好悪の状態を表す「好き」「きらい」については,「彼のことが好きです (164 人)」が「彼のことを好きです(7人)」よりも圧倒的に多く選ばれ,同じく「わたしはネコが 嫌いです(170 人)」が「わたしはネコを嫌いです(1人)」よりも多く選ばれた。あきらかに「が」 と「を」の置換性が成り立っていない。対照的に「きらう」という動作を文の末尾に置くと(課題 文6),ほぼ全員が「わたしはネコをきらう(170 人)」を選んだ。 「ほしい」と「ほしがる」 「ほしい」については,「だれでも,金メダルがほしいものだ(152 人)」を選んだ者が,「だれでも,金メダルをほしいものだ(19 人)」を選んだ者よりも多い(課題 文7)。また「だれでも,金メダルがほしい(160 人)」を選んだ者は,「だれでも,金メダルをほし い(11 人)」を選んだ者よりも多い(課題文8)。したがって,「ほしい」については9割以上のも のが「が」を,1割近くの者が「を」を選んだことになるが,「が」と「を」の置換性が成り立つ ほどには選択頻度が拮抗していない。いっぽう「ほしがる」というように動作を強めたことばに置 き換えると(課題文9),「だれでも,金メダルをほしがる」を全回答者が選んでいる。 動作と状態 状態よりも動作を表す文において「を」を選択する頻度が高くなる傾向があった。 課題文1(状態)と3(動作)を比較すると「を」の選択頻度は,前者で 112,後者で 170 となり, 課題文5(状態)と6(動作)では, 「を」の頻度が前者で1,後者で 170 となり,課題文8(状態) と9(動作)では,「を」の頻度が前者で 11,後者で 171 となった。動作を表す語を文末に置くと, ほとんど完全に「を」が選ばれるのに対して,「状態」の語を文末に置くと「が」の頻度が上がる。 「折れる」「弾ける」「図れる」「できる」 「読める」「折れる」「弾ける」のような能力を表す動 詞(課題文 10 ∼ 12)は,「が」と「を」の選択数がほぼ拮抗していた(「が」と「を」の置換性)。 特に興味深いのは,文末に「折れる」と「折れない」を置いたときを比較すると,前者では「が」 の選択数が 86 人であったのに対して,後者では 116 人と増えている(課題文 10,14)。否定詞がつ くと「が」の選択頻度が上がった。 75 助詞「が」と「を」の置換性について 「勉強ができる(170 人)」が「勉強をできる(1人)」よりも圧倒的に多く選択された。よって 「できる」については「が」と「を」の置換性が成り立たずに,圧倒的に「が」が選ばれたことに なる。 文脈効果 可能動詞の中に文脈効果を示すものが見出された。課題文 11 と 15 を比較すると, 「を」 の使用頻度が前者では 85 人,後者では 156 人(対応のある z 検定,CR=8.09, p<.01),課題文 12 と 16 を比較すると,「を」の使用頻度が前者では 84 人,後者では 113 人(CR=3.49, p<.01),課題文 13 と 18 を比較すると,「を」の使用頻度が前者では1人,後者では 17 人であった(CR=4.00, p<.01)。 このことより,文を短く言い切ると「が」の選択が高まるが,文末をやわらかく表現したり (「・・・折れるようにする」),関連する文節を体言に接続させたりすると(「・・・できる環境」) 「を」の選択が高まった。 調査2 調査1では二十歳前後の青年に対して調査を行ったが,調査2では中高年に対して実験1と同じ 質問紙を実施した。 回答者 京都市北区と南区にある,社会人を対象にした市民講座に出席した 126 人の受講生(男 88,女 38) 。平均年齢 69.7 歳,標準偏差 6.0 歳,範囲は 50 から 90 歳まで。 実施時期と場所 2006 年9月9日および 10 月4日。各地区の大教室において講義時間の一部を 利用して一斉に実施。 結果 調査1と同じ要領で結果を表1の「中高年」の列に示す。本調査では回答者数が 126 人だったの で,各課題文に対して「が」あるいは「を」選んだ回答者が,74 人を超えたときは5%の水準で (†),77 人を超えたときは1%の水準で(‡),平均 63 人よりも有意に多いいということができる。 「たい」と「たがる」 課題文1では,「折り紙が折りたい」を選択した者は 58 人,「折り紙を折 りたい」を選んだ者は 67 人であり, 「が」と「を」の選択数がほぼ拮抗している(有意差なし)。そ れに対して,課題文2では全回答者が「折り紙を折る」を選んだが,「たがる」という動作を表す 助動詞を末尾に置くと(課題文3),ほぼ全答者が「折り紙を折りたがる」を選んだ。 「好き」と「きらい」 「好き」「きらい」については,「が」が「を」よりも圧倒的に多く選ば れた(課題文4,5)。あきらかに「が」と「を」の置換性が成り立っていない。対照的に「きら う」という動作動詞を文末に置くと(課題文6),ほぼ全員が「を」を選んだ。 「ほしい」と「ほしがる」 「ほしい」については,「だれでも,金メダルがほしいものだ」を選 んだ者が,「だれでも,金メダルをほしいものだ」を選んだ者よりも有意に多い(課題文7)。また 「だれでも,金メダルがほしい」を選んだ者は,「だれでも,金メダルをほしい」を選んだ者よりも 有意に多い(課題文8)。したがって,「ほしい」について約8割のものが「が」を,残りの約2割 が「を」を選んだことになるが,「が」と「を」の置換性が成り立つほどには選択頻度が拮抗して いない。いっぽう「ほしがる」というように動作を強めたことばに置き換えると(課題文9),ほ とんどの者が「を」を選んだ。 動作と状態 状態を表す文よりも動作を表す文において「を」の選択頻度が高くなる傾向があっ た。課題文1(状態)と3(動作),課題文5(状態)と6(動作),課題文8(状態)と9(動作) 76 表1.調査1(青年)と調査2(中高年)の結果。青年,中高年の列に示されている数値は左側が「が」 を選択した回答者数,右側は「を」を選択した回答者数。 1 折り紙 ____ 折りたい (59/112)‡ (58/67) 差の検定 (χ2)a 4.26 † 2 折り紙 ____ 折る (0/171)‡ (0/126) ‡ n.s. 3 折り紙 ____ 折りたがる (1/170)‡ (3/123) ‡ n.s. 4 彼のこと ____ 好きです (162/7)‡ (120/6) ‡ n.s. 5 わたしは,ネコ ____ きらいです (170/1)‡ (124/1) ‡ n.s. 6 わたしは,ネコ ____ きらう (1/170)‡ (6/120) ‡ n.s. 7 だれでも,金メダル ____ ほしいものだ (151/19)‡ (105/19) ‡ n.s. 8 だれでも,金メダル ____ ほしい (159/11)‡ (100/26) ‡ 13.27 ‡ 9 だれでも,金メダル ____ ほしがる (0/171)‡ (1/125) ‡ n.s. 10 折り紙 ____ 折れる (86/84) (96/29) ‡ 20.94 ‡ 11 ピアノ ____ 弾ける (86/85) (97/29) ‡ 21.85 ‡ 12 皆様との交流 ____ 図れる (87/84) (80/46) ‡ 4.69 † 13 勉強 ____ できる (170/1)‡ (125/1) ‡ n.s. 14 折り紙 ____ 折れない (116/55)‡ (102/23) ‡ n.s. 15 練習して,彼はピアノ ____ 弾けるようにした (15/156)‡ (43/83) ‡ 29.68 ‡ (63/63) 8.53 ‡ (96/75) (100/24) ‡ 19.36 ‡ (152/17)‡ (113/11) ‡ n.s. 番号 課題文 青年 中高年 16 これを機会に,皆様との交流 ____ 図れる場を設けます (56/113)‡ 17 おかあさん,折り紙 ____ 折れるようになったよ 18 勉強 ____ できる環境にじぶんの部屋を変えた ‡, 1% で有意差,†, 5 %で有意差,a, df = 1. をそれぞれ比較すると,動作を表す文に対してはほとんど完全に「を」が選ばれたのに対し,「状 態」を表す文では「が」を選択する頻度が上がった。 「折れる」「弾ける」「図れる」「できる」 「折れる」「弾ける」「図れる」「できる」のような可 能を表す動詞(課題文 10 ∼ 13)では,「が」の選択数は,「を」よりも有意に多かった。「できる」 については,ほぼ全回答者が「が」を選び,残り 100 の3課題文については平均して回答者の 72 %が 青年 老壮年 「が」を選んだ。また課題文 14 のように,否定語 が文末に置かれてもこの傾は変わらなかった。 文脈効果 能力を表す動詞の中に文脈効果を示 すものが見出された。課題文 11 と 15 を比較する と,「を」の選択頻度が前者では 29 人であったの に対して後者では 83 人(対応のある z 検定, CR=6.36, p< .01),課題文 12 と 16 を比較すると, ﹁ が ﹂ の 選 択 頻 度 ︵ % ︶ 80 60 40 20 「を」の選択頻度が前者では 46 人,後者では 63 人 (CR=2.29, p< .05),課題文 13 と 18 を比較すると, 「を」の選択頻度が前者では1人,後者では 11 人 0 13番 4,5番 7,8番 10-12番 1番 課題文(番号) であった(CR=2.52, p< .05)。文脈を加えること によって「を」の選択頻度が高まったことがわかる。 図1.基本的文例に対する「が」の選択頻度 77 助詞「が」と「を」の置換性について 世代差 表1の青年と中高年の「が」あるいは「を」の選択頻度の差を,χ2 検定を用いて検定し た。その結果を表1の右端に示す。その結果,課題文1,10,11,12,15,16,17 において,青年 は中高年よりも「を」を有意に多く選択し,課題文8では,青年は中高年よりも「が」を有意に多 く選択した。全体的に見れば,青年は「を」を,中高年は「が」を選択する傾向があった。 図1は,基本的な5文例について,青年と中高年の「が」の選択頻度を示している。課題文 13 は 「できる」,課題文4,5は「好き」と「きらい」,課題文7,8は「ほしい」,課題文 10~12 は能力 を表すことば,課題文1は「たい」である。複数の文例をもつカテゴリーには,その平均値を示し ている。 考察 希望,好悪,能力などを表すことばを述部とし,助詞「が」によってその対象を表す文例を用い て,「が」と「を」の置換性について検討した。その結果,文例と世代に依存して置換性が成り立 つときと成り立たないときがはっきりとしてきた(図1)。課題文 13「勉強_できる」と課題文4 「彼のこと_好きです」では「が」がもっぱら選択されたのに対して,課題文8「だれでも,金メ ダル_ほしい」では「が」が8∼9割の回答者に選ばれ,残りは「を」選択した。また「ピアノ_ 弾ける」のような能力を表す動詞を用いた文(課題文 10 ∼ 12)では,青年が同程度の頻度で「が」 と「を」を選んだのに対して,中高年の約 76 %は「が」を選んだ。ところが,課題文1「折り紙_ 折りたい」では,中高年が同程度の頻度で「が」と「を」を選んだのに対して,青年の3分の2は 「を」を選んだ。 文によって置換性が変化する事実はどのように説明されるだろうか。いまの青年の相当数が「ピ アノを弾ける」というのに,「勉強をできる」と言わないのはなぜだろうか。述部が「できる」「好 き」「ほしい」「弾ける」「折りたい」であるとき,いずれの文も行為・動作が発動される前の可能 や希望や好悪の状態を表している。しかし,最初の3語が純粋な状態語であるのに対して,「弾け る」「折りたい」のようなことばは,「弾く」「折る」に助動詞状のことばが付いたもので,もとも とは動作を表すことばであったものを,能力や希望の状態を表すことばに転化させたものである。 おそらく純粋な状態語に対しては「が」が強固に選択されるのに対して,動作語から転じた状態語 には,動作語としての残効が現れて,純粋な状態語に比べて「を」を選択する頻度が高まる(「が」 の選択頻度が下がる)のではないだろうか。 述部に状態(形容詞的活用)を表す語が置かれると「が」が選ばれやすく,動作(動詞的活用) を表す語が置かれると「を」が選ばれやすくなる傾向は,課題文1と3,課題文8と9のそれぞれ を比較しても明らかである。表1が示すように,「折り紙_折りたい」(状態)と「折り紙_折りた がる」(動作)を比べると前者の「が」の選択頻度は後者よりも高い。同じように「誰でも,金メ ダル_ほしい」(状態)の方が「だれでも,金メダル_ほしがる」(動作)よりも「が」が選択され やすい。 世代間の相違についてはどのように考えればいいのだろうか。助詞のような言語の基本要素の運 用は若いころに学習されて,その後あまり変化しないと仮定すれば,現在の中高年がことばの基本 的枠組みを学んだころの日本語では,「ピアノが弾ける」とか「折り紙が折りたい」という言い方 が一般的だったのではなかろうか。ところがその後,数十年のあいだに何らかの理由によって日本 78 語が変化して,「ピアノを弾ける」「折り紙を折りたい」というような言い方になり,その変化した 日本語を現在の青年が学習したと思われる。もしこの考え方が妥当であれば,これは,「が」から 「を」への変化ということができる。じっさい,世代間の比較をすると,いくつかの課題文で青年 は「を」を,中高年は「が」を選択する傾向が示された。 「が」から「を」への変化は,なぜ起こったのだろうか。よくいわれる説明は英語のような外国 語の教育の影響である。英語を日本語に訳するとき,一般に目的語に相当することばには「を」を 付けて訳するように教えられる。たとえば「本を読む I read a book」「ピアノを弾く I play the piano」「折り紙を折る I fold Origami」という具合である。この学習効果が,希望,好悪,能力な どを表すことばを文末にもつ文にも般化して,「本をほしい I want a book」「ピアノを弾ける I can play the piano」 「折り紙を折りたい I want to fold Origami」というようになったという解釈である。 筆者は英語学習説を否定するつもりはないが,この説明では,本研究で認められた文脈効果を説 明することが困難である。本調査の結果では,希望,好悪,能力などを表すことばを文末に置く場 合と,そのことばのうしろに「・・・ようにした」とか「・・・ようになった」を置いて柔らかく 表現したとき(課題文 15,17)や体言を修飾したときには(課題文 16,18),「が」の選択頻度が減 少し「を」の頻度が有意に上昇した。もし外国語学習が助詞の選択に効果をもつとすれば,文の構 造にかかわらず同じ効果が現れると考えられるが,調査の結果は今見たように,希望,好悪,能力 などを表すことばで言い切ったときに「が」の選択頻度が高くなるのである(課題文 10 ∼ 13)。 本調査で得られた文脈効果は,「が」に強調の意味があることを思い出せば理解ができるかもし れない。同じ「できる」ということばであっても,「勉強_できる」と言い切る方が,「勉強_でき る環境にした」と言うよりも,行為者の能力を強く表現する。行為者の気持ちや感情を強く打ち出 すときは,したがって,「が」が選択される。ところが「環境」を修飾するように「できる」を使 えば,メッセージの重心は述部の「・・・した」に移動し,相対的に「できる」の強意は下がり, その結果,「を」の選択頻度が高まるだろう。 冒頭に掲げた問題に対する私見を述べるときがきたようである。「したい」のように希望を表す ことばが述部に置かれたとき,その対象を「が」によって表すことが元々の日本語であるとすれば (佐久間,1959),近年では徐々に「が」の代わりに「を」が用いられるようになり,本調査の青年 にいたっては,「が」と「を」の頻度が逆転して「を」を使うことが多数化しているが,これはな ぜなのだろうか。「が」から「を」への変化は,英語の翻訳学習の効果に加えて,助詞によって 「したい」の強度を区別していると考えられる。すなわち, 「したい」という希望が強いときに「が」 を,それが弱い(あるいは普通の)ときに「を」を使うことによって,希望の程度を区別している のではないだろうか。強く「したい」と思うことは,よく起こることではないので,とうぜん「が」 の使用頻度が下がり,「を」の頻度が上がることになる。 謝辞 調査2の一部は,立命館大学文学研究科の大学院生対梨成一と同大学土曜講座の担当者宇治橋奈 名子によって実施され,その資料が回収された。残りの資料については,立命館大学人文社会リサ ーチオフィスの荒堀弓子,川面創の協力(調査先の斡旋と資料の回収)のもとに集めることができ た。この場を借りて四氏にお礼を申し上げる。 79 助詞「が」と「を」の置換性について 引用文献 庵功雄(1995a).ガ∼シタイとヲ∼シタイ.宮島達夫・仁田義雄(編)日本語類義表現の文法(上)短文 編.くろしお出版(pp. 53-61). 庵功雄(1995b).ガ∼シタイとヲ∼シタイ─格標示のゆれに関する一考察─.日本語教育,86,52-64. 岩原信九郎(1970).教育と心理のための推計学(新訂版).日本文化科学社(第 17 章). 庭三郎(2006).現代日本語文法概説. . 佐久間鼎(1959).日本語の言語理論.恒星社厚生閣(第4章). 山口明穂・秋本守英(編)(2001).日本語文法大辞典.明治書院. (本学文学部教授) 80 ...
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  • Fall '19
  • 助詞

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