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Unformatted text preview: ● 研究ノート ● 『死にゆく者の孤独』について ― 死と老齢化の社会学 大 平   章 On The Loneliness of the Dying: the Sociology of Ageing and Dying Akira OHIRA  Abstract In 1982, Norbert Elias published a book entitled Über die Einsamkeit der Sterbenden on the basis of the lectures on ageing and dying that he had given as visiting researcher at German universities during the 1980s. This German edition was soon to be translated into English as The Loneliness of the Dying in 1985 together with a revised version of a lecture at a medical congress as a Postscript. Generally speaking, sociologists, unlike historians, have rarely treated such negative topics and issues as ageing, dying, killing, homosexuality, even war in their research. However, Elias did not regard these so-called socially taboo areas as unnatural, extraordinary or deviant, but investigated them as natural, normal or even sometimes permissible in the course of human history by means of his unique sociological, historical and anthropological perspectives, contributing to what he would call the destruction of myths. Put simply, this book directly shows what it means to age and dye in highly civilized, technologically or medically developed modern societies. Clearly enough, most of us more or less know that in the future, we will die very lonely in highly hygienic, well-organized hospitals, hospices and homes for the aged, not surrounded by our intimate friends, family members, and relatives. This is one of the problems faced by people living in present-time civilized societies. This paper aims to demonstrate how in this book Elias explains these changing social phenomena in the course of human history. In that sense, The Loneliness of the Dying should be read in juxtaposition with, and as a sequel to his magnum opus The Civilizing Process. 119 大平 章:『死にゆく者の孤独』について ― 死と老齢化の社会学 (1)序 論  ノルベルト・エリアスの文明化の過程の理論を理解する際に,無視できない問 題のひとつとして,死と老齢化に関する彼の社会学的考察がある。人間が使用す る時間概念や言語が,世代間の長期的な知の伝達によってコミュニケーションの 共通のシンボルとして変化してきたように,死や老齢化の問題も人間社会の共通 現象として個々の社会でそれぞれ違った形で認識されてきた。人間が生物である かぎり,だれも自然の一過程である老齢化や死という宿命から逃れることはでき ない。自然のメカニズムをある程度理解し,自然の諸力を利用することによって 高度に発展した産業社会に住み,いわゆる文明化された生活を享受している人々 にとって,これはとりわけ多くの複雑で困難な問題を生み出す。化石燃料の過度 の使用とそれに伴う地球の温暖化や環境破壊によって,人類は解決の難しい問題 に直面してきたが,それと同じく,物質的に豊かな生活や,医学の進歩による人 間の寿命の延長は,死を人々の日常的な意識から遠ざけることによって,あるい は,エリアスの言葉を使えば,死を「舞台裏に隠す」ことによって,ますます死 の問題を深刻にしているのである。換言すれば,長すぎる若者時代と同じく,長 すぎる老人時代もまた文明化された社会特有の問題を生み出すのである。それは 人々が意図したり,計画したりしたことではないので,解決策を見つけるのは容 易ではない。  現代のいわゆる文明化された社会では,労働力として無価値になった老女を, 人里離れた山中に遺棄したり,あるいはまた飢饉の時期に幼児を間引いたりする ことも断じて許されない。人権の概念が深く内面化され,残酷で非人間的な行為 に対する嫌悪感のレベルが前進している文明社会では,弱者や身体障害者を差別 したり,排除したりする人間は激しく非難される。とりわけ老人は,福祉政策の 名の下で国家によって保護され,その多くは養老院や病院で死期を迎えることに なる。エリアスによれば,死の問題は,公的な場での過度の感情的表現が禁止さ れ,自制が行き届いた文明社会固有の問題であり,初期の社会でより単純であっ た社会的行動様式が,後期の社会では,さらに複雑で異なった形をとるようにな る顕著な例なのである。 120 Waseda Global Forum No. 13, 2016, 119−138  エリアスは死と老齢化に関する上記のような議論を1982年に出版された『死に ゆく者の孤独』(Über die Einsamkeit der Sterbenden)という小著でミシェル・フー コーを髣髴させるような方法で展開した。さらに,これはドイツでの講演を後書 (1) 本書は,『シンボルの理論』や きに加えて1985年に英訳されることになった。 『時間について』と同じく,必ずしも完成された著作とは言えないが,今後,社 会学が取り組むべき重要な課題,つまり,産業や科学技術が高度に発達した社会 における人間の幸福や生き甲斐などに関連する,ある意味では人類共通の,深刻 な問題をいくつか提示しているという点で,またそれが今後,社会学の分野でさ らに深く研究されるための方向性を示唆しているという点でも重要である。  老齢化とそれに伴う少子化という社会現象は世界のあらゆる産業国家が経験す る大きな悩みのひとつである。それは,個々の社会学者や経済学者によってある 程度予測はされるが,人間社会全体の現象としてはむしろ意図されない無計画の 社会変化である。  以下,本書におけるエリアスの議論の骨子を紹介し,それに沿って,人間の死 が文明化された社会でどのように扱われ,どのような心理的影響を人間の生き方 や行動に与えているかという問題に焦点を当ててみたい。エリアスはここでも, 該博な知識に基づいて,ヨーロッパの初期の社会,あるいは他の文化圏における 人間の死のイメージや,そこから得られる死に対する観念の違いを比較の軸とし て使い,さらに現代にいたるまでのその変化過程に言及しながら,死と老齢化に ついて彼独特の社会学的解釈を披歴している。 (2)過去と現在における人間の死のイメージと認識  エリアスによると,より文明化された現代社会で死にゆく者や高齢者が普通の 人間から切り離されるということは大きな問題であり,死の社会問題は,生きて いる人々が死にゆく者を自分の立場で考えないがゆえに,解決が難しい。死の経 験は人間集団に特有であり,可変的である。死がいかに自然であり,個々の社会 の成員に同じに見えても,死の認識は習得を必要とする。死に対する態度は生得 の,物理的なものであるが,人間は死の観念を持ち,それゆえ,死が問題にされ 121 大平 章:『死にゆく者の孤独』について ― 死と老齢化の社会学 る。エリアスは死のイメージや認識に関して,初期社会と現代社会を比較しなが ら概ね次のように述べる。  たとえば,13世紀の南仏におけるアルビジョア派に対する弾圧は非人間的であ り,人間への同情心が希薄で,強い集団が弱い集団を弾圧した。同じく,スペイ ンの異端裁判では,追放,投獄,拷問,火刑などによって異なる信仰を持つ人々 が弾圧された。産業や科学が高度に発展した社会に住む人々はそのような恐ろし い虐殺や,病気や死の犠牲になることは少ない。そこでは人々はより高度な自制 を要求されるが,人間の生活は予測可能である。13世紀の騎士の世界では40歳の 男は老人であったが,産業社会ではまだ若いと見なされる。病気の予防や治癒は 現代人には不満であるかもしれないが,以前よりはるかに進んでいる。国家内部 の和平化,暴力に対する国家的保護,飢餓への予防策も昔の社会では想像もでき ないほど進んでいる。もちろん戦争の危機が現在でも個人の生活を脅かしている ことは事実であるが,長期的に見れば,昔の社会に比べて,現代社会の安全性の 度合いは高い。運命の打撃から身を守ってくれる超自然的な力を信頼し,あの世 への信仰を人々が深めるのは,その集団生活が不安定であり,自分たちではそれ を統御するのが不可能であるという状況に関連する。逆に,産業社会では人間 の死や病気は医学やテクノロジーの発展によってある程度予測できるがゆえに, 人々が超自然的な神の力に頼ることは少ない。  したがって,現代社会における死への態度や死のイメージは,個人の生活が予 測可能となり,安全になり,寿命が延びているという現状を考慮に入れないと, よく分からないのである。人生が長くなり,死が引き延されると同時に,死にゆ く人々や死人を見ることは当たり前ではなくなっている。つまり,日常生活では (2) 死を忘れることができるのである。  こうして,死にまつわる問題は昔の社会のそれよりも複雑な要素を含むことに なるが,それを理解するには,文明化の過程の理論が必要となる。エリアスはさ らに次のように議論を展開する。  昔の社会,および別の社会における死の意味と,現代社会のそれとを比較する ときのみ,それはより広い視野で捉えられ,説明可能となる。これは,個人に とっても共同体にとっても極めて危険な動物的行動がより規制され,社会的ルー 122 Waseda Global Forum No. 13, 2016, 119−138 ルや良心の形成によって自己抑制の強制から逃れられなくなったという文明化の 過程の理論によって説明できる。変化する権力バランスの中で,それは羞恥心, 嫌悪感,当惑感と結びつき,ヨーロッパの「文明化の勢い」の中で,舞台裏に隠 されたり,あるいは取り除かれたりしてきたし,死に対する人々の行動の長期的 変化も同様の方向をたどっている。死は,人間生活における生物・社会的な危機 となっている。これは死にゆく者にとって彼らがますます舞台裏に追いやられた (3) り,孤立したりすることを意味する。  さらに死に関連する重要な問題がここで議論されている。それは,中世の人々 が安らかに,穏やかに死んだというフィリップ・アリエスの見解に対するエリア スの批判である。エリアスは逆に,初期の時代の人々は自分の苦しみを和らげる ことができず,苦痛に悶え苦しんで死んだと論じる。したがって,中世ではもっ と頻繁に,しかも公然と死や死人について論じられ,彼らは死を恐れていたとエ リアスは言う。都市が発達すると人々はペストなどの疫病を恐れたのである。こ のように死が生と背中合わせになっていたからこそ,昔の死にゆく人々は,他人 がいることで慰められ,安心したのである。エリアスはその例として,トマス・ モアが死にゆく自分の父を抱きしめ,キスをしたという伝聞を挙げる。さらにエ リアスはその背景にある社会状況を,同じく文明化の過程の理論に立脚して次の ように捉える。 中世とは不安定な時代であった。暴力が満ち溢れ,対立感情は熱気を孕み,戦争 が頻発し,平和な時代はまれであった。流行病で数えきれない人が悶え苦しんで 死んでいった。飢饉や飢餓も日常茶飯であり,物乞いや,身体障害者があちこち にいるのが日常の風景であった。人々は,親切だったと思うと,急に冷淡になっ たりして感情の起伏が激しく,他人の苦しみを喜んだり,他者の苦痛に無関心で もあった……ピサの教会には死後の人々を待ち受けている恐ろしい絵がある。天 使が救われた人々を永遠の生命がある天国へ誘い,恐ろしい悪魔が呪われた人々 (4) を地獄で苦しめている。 中世の人々は一般に短命であり,危険はあまり防止できなった。死は苦痛を伴 123 大平 章:『死にゆく者の孤独』について ― 死と老齢化の社会学 い,罪の意識や,死後の罰への恐怖も大きかった。他者の死に人間が立ち入るこ とは通常であった。現代人は苦しみを和らげる方法を知っているし,教会には地 獄の絵など必要ない。が,現代では他者の死に立ち入ることは少なくなった…… 「よき過去」,「悪い現代」の単純な説明はほとんど目的には適っていない。昔は それがどのようなものだったのか,なぜそうだったのか,なぜそれが違ったのか (5) が基本的な問いである。  さらにエリアスは,中世の家族生活についても,『文明化の過程』においてな されたのとほぼ同じような手法で分析する。彼の説明をさらに続けよう。人々は 共同で暮らしていたので,昔は,死や誕生がもっと一般的であった。プライバ シーはなかった。現代では両親は死について子供に語らず,それが個人生活や社 会生活では隠される。親はそれを語ることで子供に悪い影響を与えることを恐れ る。親が子供に死について語りたがらないのは現段階の文明化のパターンにとっ て顕著な例である。昔は人が死ぬとき,子供もそこにいた。あらゆることが他者 の目の前で起こるところでは,死もまた子供の目の前で起こった。  エリアスは現代とは異なる,昔の社会における死の認識に関する同じような状 況を文学作品や芸術の中にも見る。現段階の文明の度合いから,また現代特有 の,段階的に進んだ形の羞恥心と嫌悪感のレベルから距離を置く場合のみ,他の 文明段階の社会で暮らす人々の行為や作品を正確に評価できる,と彼は言う。  たとえば,エリアスはシレジアの詩人が書いた,死のイメージを連想させる 「美のはかなさ」という詩を取り上げ,それは,単に個人的な印象を述べている ものではなく,当時のヨーロッパのバロック時代特有の現象であり,貴族の「恋 のゲーム」の方法をいくぶんわれわれに伝えてくれる,と指摘する。さらにエリ アスは,同様のテーマの異形がロンサールやオピッツ,その他の詩人の作品にも 見られ,それは当時の恥や嫌悪感のレベルが現代のレベルとは違っていることを 表わすものであり,また同時に異なる社会的人格構造をも示すものである,と論 じる。これに関連して以下の引用も興味深い。 死や汚物への言及,死んだ人間への細かい言及は厳しい社会的検閲にも屈するこ 124 Waseda Global Forum No. 13, 2016, 119−138 とはなかった。死んで乱していく人々の光景はより一般的であった。そんなこ とは子供を含むだれもが知っていた。だれでも知っていることだから社会生活で も詩の中でも比較的自由に表明された。今日では事情は違っている。人間の歴史 において,死にゆく人々がかくも社会生活の舞台で,衛生上,取り除かれること (6) はなかった。  さらにエリアスは,死者に対する人間感情が昔と今ではかなり違っていたこと に言及し,昔は許された行為が今は禁止されるという,文明化に伴う人間の感情 表現の変化に言及する。死者を前にして昔は王侯貴族までが直接的な表現を禁じ なかったのである。さらにエリアスの議論を続けよう。  現代社会で死者になること,死に瀕していることは,日常社会から隠され,特 に子供には説明されない。一般的に,死者に対する過去の礼儀や風習は現代では あまり効果的ではなく,それを理解するのは難しい。たとえば,プロシアのフ リードリヒ2世は,死に瀕している姉に医者を派遣し,その際,最愛の姉に対し て手紙で敬意と同情の意を心より表明したが,このような手紙を現代人は書ける だろうか,とエリアスは問いかけ,さらに次のように言う。  フリードリヒ2世の姉に対する敬意の念はこの時代の人間関係をよく表してい るが,現代人はそれを,大袈裟で因習的な言葉として理解するだろう。ところ が,国王は自分自身の真摯な気持ちを伝えるために自分自身の言葉を使っている のである。手紙を受け取った人は,当時の宮廷社会の習慣から国王の真意を感じ 取ることができたが,現代人にはそれができない。17世紀には男は人前で泣くこ とが許された。現代ではそれは女や子供にしか許されない。強い,激しい感情を 死者に表わすことがタブーとなる。 「非形式化」の勢いが有力である現代では過 去の伝統的な表現が信頼されない。今や死者の状況に社会的な枠組みを与えるの は制度化された病院の日課である。しかし,逆に,それは死にゆく人々を孤独に させ,孤立させる。世俗的な葬儀には感情や意味が大いに失われ,伝統的な世俗 的形式には説得力がない。次の引用に凝縮されているように,タブーが強い感情 の噴出を禁じるのである。 125 大平 章:『死にゆく者の孤独』について ― 死と老齢化の社会学 現代では死者の手を握り締め,死者を愛撫し,つきることのない愛情を示すこと は難しい。強い感情を示すことに対する文明の過度のタブーがわれわれの口や手 を縛ってしまう。生きている人々は半ば無意識のうちに死が感染すること,脅威 であることに気づき,思わず死者から遠のく。しかし,自分と最も親しかった人 と別れる際に,惜しみない愛情の意を示すことが,死にゆく者への最大の助けに (7) なるのである。  さらにエリアスはフロイトの深層心理学に触れながら「死」という言葉が現代 ではいかにタブー化されているかを分析し,それを非日常化しようとする現代社 会の傾向に警告を発する。産業が高度に発達したこのような社会の普遍的な現象 を彼は概ね次のように説明する。  現代では死のイメージが美辞麗句で隠され,「死」という言葉も死亡広告では 別の言葉に置き換えられる。墓地は「町の緑の空間」などの婉曲表現によって表 される。現代では人々は自分を独立した個人と見なし,自分のためだけの意味を 追及することが最も要視される。人間が死や死人の話題を避けたがるのは,そ の裏に,それだけ人間は元来それに深く係り合っていたことが示されているから である。次のエリアスの分析はさらに鋭い。  死や死にゆく老人への嫌悪感やタブーは現代では,性関係に対するそれよりも 強い。性的に欲求不満の人間や異常者も,それで死ぬことはないし,その危険性 は死の危険性よりも大きくない。性の危険性は部分的であるが,「死」は人間の 完全な終わりを意味する。死そのものというより,死のイメージが危険性を喚起 する。生きている人間のみがそれを感じ,死者はそれを感じない。性も死も社会 的に特殊な方法で認識される経験や現象である。それは人間の発展段階,つまり 文明の段階に応じる。かくして死は社会的な問題となる。  さらにエリアスは,死が非日常化していく現代の状況を,ここでもまた国家形 成の過程,つまり国家による物理的暴力と徴税権の独占という文明社会に共通の 現象と連動させ,それが私的暴力の頻繁な使用によって崩れれば,状況が変わ り,大量虐殺やテロによって死の認識が逆に現実化しうることを示唆している。 これはきわめて重要な指摘である。たとえば,1990年代に旧ユーゴスラビアで起 126 Waseda Global Forum No. 13, 2016, 119−138 こった民族浄化の暴力,21世紀にもさらに激しさを増している,イスラム原理主 義のテロリズムは,その残虐さによって,死の恐怖を人々が再度現実化すること もありうる。したがって,次のエリアスの説明は重要である。  国家が暴力を規制できない社会では戦闘の可能性や他者からの攻撃に備えなけ ればならない機会が増大し,国家は不安定となり,死や殺傷は日常茶飯となる。 安らかな死はそういう戦士社会では例外である。文明化の方向への緩やかな変化 によってもたらされる社会構造の特質が,非暴力的な社会を当然と見なす概念に も反映される。死者や死を遠ざけ,社会生活の舞台裏へとそれを追いやった文明 化の過程も,逆の過程,つまり非文明化の方向 ― 国家や人間集団や組織が殺人 や虐殺を強要する方向 ― に向かえば,文明化は容易に崩れてしまう。「わたし は命令に従っただけです」という陳腐な答えが,人間の良心がいかに国家による (8) 外的規制に依存するかを示している。 (3)個人中心主義と「閉ざされた人間」に見られる孤独な死  社会学の方法論をめぐる「個人」と「社会」の関係でエリアスが問題視した, 現代社会(とりわけ現代西洋社会)における「個人」中心主義,「われわれ」意 識のない「わたし」や「自我」の崇拝は,現代の深刻な人間的イメージを助長す る。かくして「死」は現代哲学でも現代文学でも主人公となり,永遠に解けない 謎として,神秘として,さらには普遍的な神話として議論される。この死の個人 化はエリアスの言うように現代人の人格構造の深部に根を下ろしている。エリア スはこの問題に関して概ね次のように言う。それはまた,『諸個人の社会』で繰 り返し言及されたことでもある。  高度に発達した社会では人間は個人化される。そのことが死のイメージに重な る。高度に発達した社会では人間は自分を孤立した個人として,主体として「窓 のないモナド」として見る。すべての社会は,すべての他者と同じく「外的世 界」となる。「内的世界」と「外的世界」が分化され。この「閉ざされた人間」 のイメージが現代の「死のイメージ」に重なる。「神秘」,「無」などの概念を伴 う唯我論的な実存主義の著書は,疑似唯我論的な人間のイメージを死のイメージ 127 大平 章:『死にゆく者の孤独』について ― 死と老齢化の社会学 に影響させる。「不条理演劇」がその代表的な例である。その提唱者の出発点は, 個人の人生であり,それは自分自身と,自己のために意味を持たねばならない。 意味の探求は孤立した個人の意味の探求となる。この種の意味がなくなれば,人 間の存在は意味を成さなくなるし,幻滅を味わう。こうした意味の喪失は,個々 の人間は死ぬという知識に最高の表現を見出す。ほとんどの実存主義的な哲学思 想は,空白状態にある個人,孤立したモナド,封印された「自己」,孤立した人 間,その普遍的な意識を,意味の主体として仮定することで,「意味の問題」を (9) 解こうとする。  この種の意味が発見されないと,人間存在は無意味となるが,この種の意味の 概念が誤解を生む。「意味」は相互依存する人間集団によって作られるものであ り,「意味」は社会的なカテゴリーなのである。それは伝達され,支持され,そ れに相応する個人は複数の相互依存する人々でもある。彼らが交換するサインに は共通の意味がある。言語によるコミュニケーションは,人間独自の特徴であ り,意味の探求の独自の手段である。いかなる生物もそれをなしえない。他の動 物は習得されない種独自のシグナルがコミュニケーションを支配する。それは不 変である。人間の場合,ある人間の音声が他者に意味を持つが,発信者と受信者 が,一連の特別な音声パターンに,同じ記憶のイメージ,つまり同じ意味を関連 (10) させることを習得してのみ,それが可能となる。  第3章でも言及されたように,現代社会特有の「個人化」というこの根深い哲 学的思考方法は,一様化された自制の内面化によってますます固定化され,エリ アスのいう「閉ざされた」人間像を助長する(文学作品ではカフカの『変身』や カミュの『異邦人』の主人公がその例であろう)。しかし,これはあくまでも現 代産業社会の発展に応じて形成された一時的な人間性のモデルであり,普遍的な ものではない。それより以前の社会,非西洋圏の社会では,別の人間像があり, 死のイメージや認識はまた別の方法で人間集団によって表現され,形作られてい たのであり,その理解の糸口をつかむ意味でも,この「個人化」現象はエリアス によって疑問視されざるをえないのである。実存的人間像への批判をさらにエリ アスは次のよう展開する。  ある人間の生活について語るとき,「意味がある」,「意味がない」という表現 128 Waseda Global Forum No. 13, 2016, 119−138 は他者にとっての意味(その人間が何であり,何をするか)ともつながっている ことを考えるのは簡単である。自己の思索においてこれは消えてしまう。そこに は非常に個人化された人間がいる非常に発展した社会で見られる感情,つまり, 人間は独立しているという感情が支配権を持ち,個人にはそれ自体で意味がなけ ればならないという思想が伴う。哲学的な思索では,人間は他者の世界に参入す るという実際の事実が排除される。人間は外の動植物に依存し,外の空気を吸 い,外の人間を愛し,憎むという日常世の実際的事実が,発展した社会の,孤 立した,哲学的人間によって忘れられる。  このゆがめられた個人意識は,孤立感や感情的孤立を表明する。自制が広く行 き渡り,それにふさわしい人格構造が作られる。それが壁となり,他者の感情や 行動を阻止する。こうして個人が他者から切り離される。死にゆく人々の孤独 は,生きている人々の態度にも関連するが,死んでゆく人々にもそれが見られ る。これが克服されるべき,エリアスの言う「閉ざされた人間」の哲学的イメー (11) ジである。 (4)死の相対的解釈の可能性  現代の文明化された社会に住んでいる人々,とりわけ,老齢化していく人々が 死を前にして陥らざるをえない孤独感,寂寥感,絶望感の根源がここにある。愛 する家族や友人たちに手を握られながら死ぬのではなく,病院のベッドであるい は集中治療室で独り寂しく死んでいく運命を多くの現代人は背負わされている。 現代人は科学的知識のおかげで古代人には理解できない問題を解くことができる が,逆に古代人が簡単に解決できる問題を現代人は解けないのである。しかし, 現代人は時代に逆行することはできず,動物的本能や欲望に訴えてみても問題は 解決しない。ここに文明化の皮肉が込められているのであろう。  エリアスはこの問題について概ね次のように述べ,本書の結論としている。そ こでは「孤独な死」という考えが人間社会の絶対的で,普遍的な真理ではないと いうこと,換言すれば,それは比較的近代になって有力になった言葉であるとい うことである。自制が支配的になり,本能や欲望や感情的爆発を抑えることが支 129 大平 章:『死にゆく者の孤独』について ― 死と老齢化の社会学 配的である社会では,階級やその他の違いを越えた人格構造の共通の特徴があ る。それは文明の段階が異なる社会との比較で明らかになる。その共通の特徴は 本能的,感情的衝動の抑制であり,孤立を絶対視する傾向であり,それが結合し て現在に至るまでの人格構造を作っている。生きている人々の,死に対する態度 に見られる気まずさ,控え目な態度は,死にゆく人々の,生きている人々への態 度にも重なる。人間は独りで死ななければならないという観念は比較的近代の, 個人化の,つまり,自己意識の観念が発達した段階であることが分かる。2千年 前のシュメール人のギルガメッシュ伝説がそれを物語っている。病院の中では, たとえ死にゆく人々がわれわれに関心を寄せているとしても,機械的になされる 診察や治療によって人間的な触れ合いはなくなりがちである。本当に人間的な触 (12) れ合いがなくなってしまえば,その人間は本当に孤独な人間である。 (5)後書きについて  冒頭でも触れたように,本書の英訳には,1983年10月にバート・ザルツウフレ ンでの医学会議で行われた講演(その表題は「老齢化と死ぬこと ― いくつかの (13) そこでの議論は本論 社会学的問題」)が,後書きとして付け加えられている。 のそれと重なる部分が多いが,そのうちの重要な部分をいくつか取り上げ,これ までと同じ方向に沿って再度論じてみたい。エリアスはここでも再び中世と現代 における老人の生活と死の問題を比較し,老齢化を過程社会学の観点から分析 し,さらに掘り下げた議論を展開している。ここでは彼の歴史学的,人類学的な 幅広い野がこの切実な問題を,より距離を保ちながら説明するためのある種の 迂回路の役割を果たしている。  エリアスによると,中世や前産業社会などの昔の世界では老人や死にゆく人々 は家族が面倒を見ていた。老人や病人は個人の家,もしくはその地域の村か町で 死んだので,だれでも知っていた。彼らの面倒を見るのは,当時は国家の責任で はなかった。今日では,老人や死にゆく人々を物理的暴力から守るのは国家であ る。しかし,同時にますます彼らは社会から孤立し,若い頃は面識のなかった 人々と老人養護施設で暮らすことになり,そのことで孤独感が深まる。中世では 130 Waseda Global Forum No. 13, 2016, 119−138 彼らは後の社会のように孤独ではなかったが,たいてい貧しく,流行病や飢餓が 彼らを脅かした。衛生状態も悪く,治療法もほとんどなく,今日の社会よりも中 世はその点ではるかに遅れていた。  それゆえ,彼らは不安になりやすく,すぐに興奮して,パニック状態になっ た。彼らは空想にかられ,流行病に対処するために魔よけ,生贄などに頼った。 現代ではこのような「空想的知識」は知識としては認められず,病気の原因,老 化の原因も科学的に分析され,「現実適合的知識」の発達が,変化する人間の感 情に大きな役割を果たしている。それはウェーバーの言葉を使えば,世界の「脱 魅了化」,「合理化」の過程であるが,それによって人間がますます理性化され, 前の時代よりも賢くなったと理解したら,それは誤りである。これは,「現実適 合的知識」が拡大し,「空想的知識」が少なくなると同時に,人間に役立つ事象 の効果的統御が増大する過程なのである。つまり,人間を脅かす危険の効果的統 御が増大する過程を意味する。しかし,医学や生物学の知識で人間の寿命は延 び,病気の治療が可能になっても,老化と死についてはどうしようもないという 知識の限界にも人間は直面することになる。  したがって,自然の出来事が「良い」とか「悪い」とかと言っても無意味であ る。自然には意図も目的もなく,それに目的を求め,意味を見出すのは人間のみ である。それを決定するのは人間である。しかし,そのように考えることは,多 くの人間には耐えがたい。その責任を人間はだれかに負わせたいのである。外か らやって来た,前もって規定された絶対者にまかせたいのである。人間の習得過 程は長く,試行錯誤の連続である。自己破壊や自滅もありうる。だれか他の人が 自分たちを守ってくれるという子供のような発想が危険を増大させる。自然に任 せれば人間の共同生活もうまくいくという発想がその例である。そのままにして おけば自然には危険が満ち溢れている。人間による自然の利用も大きな危険を伴 うが,人間はその失敗から学ぶ。  人間は経験によって,はるかに多くのことを習得し,行動や感情を変える。そ の能力が人間には異常なくらい多くある。しかし,不死への憧れは,絶対的で, 人間自身よりも,人間の共同社会の発展よりも,さらに人間の自然支配よりもは るかに高く,自然が不変の価値を持っているという誤謬に人間を導く。エリアス 131 大平 章:『死にゆく者の孤独』について ― 死と老齢化の社会学 によれば,これが人間の越えるべき障害なのである。  もうひとつの障害は,彼によれば,長期的で無計画の,しかも明確構造と方 向を持つ社会変化が起こっているのに,人間にはこの無計画の社会発展を理解で きず,説明もできないため,それを統御する適切な言葉を人間が持たないことで ある。エリアスはさらに人間の合理的な能力の発展とそれに伴う自然や文化への 理解を次のように捉える。  われわれは,人間以外の自然と人間社会の関係を「自然」と「文化」に二分化 するような,あるいはまた自然に価値があるような言いかたをするが,20世紀後 期の人間には,自然のそのままの姿が人間社会に役立つわけではないということ がよく理解できていない。自然の森が開墾され,恐ろしい野獣や毒蛇やサソリが 退治されてようやく都会の人々にとって,自然が美しいものになるとも言える。 人間だけがそのような自然の盲目的な,恐ろしい力と戦ってきたと言える。医学 においても自然の「良さ」と「悪さ」を判断する能力が必要であり,そのように して医学と物理学の知識はほぼ並行して発展してきた。人間の社会的関係に対す る知識も将来そのように発展することもありうる。人間生活の社会的側面,人間 対人間の関係も,老化し,死んでゆく人間には重要である。なぜなら盲目的で統 御不可能な自然の過程が人間を支配しているからである。  社会の発展段階に応じて死の構造的意味は変化し,前の時代と後の時代は物理 的に繋がっているが,エリアスはまたその時間的差異による死の構造的違いにも 注目する。それは人間の寿命が延びれば延びるほど,逆に死が語られなくなると いう逆説であり,彼は現代の死者が直面する深刻な状況を次のように説明する。 ここでもまたそれは彼の結論的な意見である。  死ぬことや死への態度は不変なものではなく,特別な社会発展段階に特有のも のであり,特別な構造を伴う。今日の社会では,以前の社会よりも死について子 供に語ることは少ないであろう。死体を見ないで子供が育つこともある。昔の社 会では死体を見ることはもっと頻繁だった。平均寿命が37歳や40歳の社会では, 死の思想は若者にもっと現実的である。寿命が長くなった現代社会では死が現実 的なものとは見なされにくくなり,舞台裏に隠されてしまう。人々が今日ほど静 かに,また衛生的に死んだことはこれまでなかった。孤独感をこれほど多く生み 132 Waseda Global Forum No. 13, 2016, 119−138 (14) 出す社会状況で人々がこのようにして死んだこともなかった。  このような状況をもたらすのは人間の相互依存の連鎖のありようが変わるから でもあるが,むしろ,暴力を独占する国家の統治機能が和平化の方向へと発展 し,死のイメージを遠ざけるような効果をもたらすからである。しかし,それは ますます人間同士の感情的絆を弱めることにもなり,死者の孤立や孤独を助長す る。かくして,死のイメージは嫌われ,死者は人間の周囲から遠ざけられ,病院 や養護施設が老人の終着駅となる。最後にその文明化の逆説や皮肉を,エリアス は概ね次のように説明し,かつそれを本書の結論として提示する。  母親中心の拡大家族の人々が病人に示す全面的な愛情は,死にゆく人々にとっ てある意味では重要な手助けになるかもしれない。現代風の集中治療室で死ぬ 人々は,最新の医療器具で治療されていても孤独である。人間の生命を引き延ば すような技術の進歩が今日の死にゆく人々を孤独にさせているだけではない。産 業国家の和平化が進み,暴力を見ることの嫌悪感が進歩している社会では,死が 「暴力」に見える。生きている人々は死にゆく人々に反感を覚える。国内の和平 化が高度に上昇している社会では,「死のイメージ」は嫌われる。かくして死者 は遠ざけられる。エリアスはその例としてサルトルの死を挙げ,それに関連して 次のように言う。  サルトルを看病したボーボワールは,サルトルがたびたび尿を漏らし,尿袋を つけざるをえなかったことについて語っている。人間の死臭はひどいものであ り,文明社会はそれを排除しようとするが,その反面,発展した社会では死にゆ (15) く人々の問題をうまく片づけることが難しくなる。  現代の人間社会に伴うこの深刻な問題をエリアスはさらに次のように説明す る。現代の医療社会学も多くの問題を抱えている。それは人間の生理的な個々の 側面を主に治療法と関係させる。心臓・膀胱・動脈などがそうである。この面で は現代の医学は進んでいる。もし個人が独りで存在し,他者とは切り離されてい る人間として扱われているなら,わたしが描いている医者や友人の役目は隠れて しまう。人々と,死にゆく人との関係がここでは重要である。発展した社会では それは特別な形をとる。そこでは死の過程は,初期のそれとは大いに違って,日 常生活から切り離される。人々の死に対する経験は,昔の社会では,公的な伝統 133 大平 章:『死にゆく者の孤独』について ― 死と老齢化の社会学 的制度や幻想によって組織化されていたが,今日の社会では「抑制」によってぼ かされてしまう。多くの人は病院で死ぬよりも,たとえ早く死んでも,家で死ぬ ことを望むであろう。人間のための治療が器官の治療よりしばしば遅くなるので (16) ある。 (6)結 語  以上が本書に追加された講演の概要と結論である。そのほとんどが本文のそれ とほぼ同じであるが,重要な問題は,老齢化と死のテーマが一貫してエリアスの 文明化の過程の理論を主軸として追求されていることである。多少繰り返しにな るが,産業が高度に発達し,和平化が進んだ社会では人間の直接的で激しい感情 の表出が禁じられ,抑えられるため(フロイト的表現によれば「超自我」の作 用) ,死者との人間的な触れ合いは,以前の社会に比べて減少し,かくして,死 は話題から遠ざけられる。死は人間の体に加えられるある種の「暴力」と見なさ れ,子供との会話では極力避けられる。死は貧困や飢餓などと同様,人間にとっ て不都合なものとして日常生活の舞台から姿を消す。  したがって,医学が高度に発達した社会では,病気が治癒され,寿命が延びる 半面,病人や死にゆく人々は孤独にさいなまれるのである。昔の社会では,人間 の寿命も短く,疫病や飢饉で死は日常化していたが,人々には,それを解決する 能力はなかった。だが,彼らはそれを身近なものとしてとらえ,少なくとも人間 的な同情を示すことはできた。昔の人が安らかに死んだわけではないが,現代社 会は,この問題をどのように解決するのか,換言すれば,死にゆく人々が安心し て人生を終える機会をいかに与えるかという点でまだ多くの人間的努力を必要と する。文明化がわれわれに要求する課題はさらに多くなり,それは,人間社会の 近代性,合理性という方向とは逆の経路辿るがゆえに,解決が困難なのであ る。  こうして考えてみると,エリアスは現代の高齢化社会に伴って増大する,老人 養護施設,ホスピスなどが抱える問題のみならず,医療における安楽死の是非な どにもわれわれの注意を喚起してくれる。この問題が世界中で深刻化すれば,死 134 Waseda Global Forum No. 13, 2016, 119−138 の社会学的議論は,死が自然の問題のみならず,社会的問題にもなるがゆえに, 今後さらに重要度を増すことになると思われる。もちろん,エリアスはここでその 絶対的な解決策を示してはいないし,死や老齢化に対処する普遍的な方法がある わけでもない。あるのはただ特定の社会や人間集団がそれに対して示す固有の処 方や規範である。が,それは少なくとも,人間社会に課せられた問題であるがゆえ に,その社会的な意味合いは時代の変化に応じて人間集団によって決定されざる をえない。なぜなら,それは愛玩動物や家畜の死を扱ってはいないからである。  さらに,ここでもまた,長期に及ぶ無計画の社会発展に固有の構造がありなが らも,人間自身にはそれを捉える能力がまだないというエリアスの指摘は重要で ある。というのも,それは,自然を人間から切り離し,個人の存在を「絶対的な もの」として崇拝する現代の哲学的傾向への批判を含んでいるからである。その 反面,医学や科学の進歩がこの面では大きな役割を果たしてきた。しかし,それ でもなお,それは逆に,死にゆく人々を人間社会から孤立させるという負の結果 を伴い,依然として,「死」を現代社会の難しい問題にしている。前にも触れた ように,そこには「閉ざされた人間」へのエリアスの批判が窺われる。個人を 社会から切り離し,絶対的な存在として,実存的人間像を信仰する現代社会は, (17) 「死」の問題をさらに困難にさせるのである。  現代の社会と昔の社会における,「死」や「病人」のイメージに関する違いに 言及するとき,エリアスは常に社会学が取り組むべき重要な課題をわれわれに示 唆してくれる。その点に関連して,中世の人間が安らかに死んだという,過去の 社会を理想化するような説をエリアスが批判している点は見逃せない。宗教との 関連でエリアスがこうした問題に取り組めば,本書での「死」をめぐる議論はさ らに発展させられたかもしれないし,また人生の残された時間が彼にもっと多く あれば,それが可能であったかもしれない。  しかし,さしあたり,文明化との関連では,文明化がもたらすさまざまな圧力 によって,「死」の問題を処理することが現代人にはますます難しくなっている というある種の逆説を提示することで,エリアスは彼固有の社会学の重要なテー マのひとつ(文明化はまだ終わらず,進行中であるというテーマ)を十分に議論 していると言えよう。換言すれば,その議論は,「非文明化の勢い」を伴いなが 135 大平 章:『死にゆく者の孤独』について ― 死と老齢化の社会学 ら文明化が必ずしも単線的に進行するのではないというエリアスの重要な認識 を,『死にゆく者の孤独』と『文明化の過程』を並行しながら読むことで,ある いは前者を後者の続編として読むことで,さらに深化することができよう。  端的に言えば,それは彼の社会学の方法が,個人の存在や観念を中心とした伝 統的な哲学のモデルと違う,あるいはそをむしろ超える方向を目指していると いう事実に関連する。確かに,高度に発達した現代の医学でも解決できない死の 問題を,現代の実存哲学は,人間の神秘的な存在性をあらゆる方面で探求しなが ら,死を克服するために説得力のある論理を提示する。それは,現代の医学や科 学技術の限界を指摘することによって,その復権を宣言できるかもしれない。実 際,何人もの優れた宗教家や哲学者がすでに,現代人の孤独や死について数多く の本を書き,この問題の深刻さをわれわれに訴えてきた。しかし,エリアスが言 うように,それも所詮は,変化し,流動する社会から分離され,孤立した,個々 の「考える人間」が行き着く,常に繰り返される不変の真理 ― あらゆる人間は 必ず死ぬという絶望的な結論 ― から逃れることはできない。個人としての哲学 者が死を哲学のテーマとして単独に取り上げる前に,人間は集団的社会生活の中 で死を日常的な事実として共通に経験してきたのである。  現代人は,自分たちが昔の社会に戻ることはできないし,たとえ戻ることがで きても,それが幸福だとはかぎらないことを知っている。つまり,現代人は,自 分たちが現代の社会的規範に応じて死を受け入れ,処理するしかないことを知っ ているのである。「死」や「老齢化」の問題を解決してくれる万能薬はどこにも ない。自然科学も社会科学も現段階では,その問題を十分に処理することはでき ず,高度に発達した医療技術に頼る以外には,現段階では宗教や哲学にそれを譲 らざるをえない。しかし,それも,前述したように,エリアスからすれば,個人 の閉ざされた思考の枠内では,新たな脱出口を見つけるのは不可能なのである。 唯一の手掛かりは,これまでさまざまな人間集団が日常生活の中で,人間社会に 共通する問題として死をどのように捉えてきたかを比べてみることかもしれな い。さまざまな人間集団が相互依存を重ねながら,時代や状況に応じてさまざま に変化する死への態度を選択してきたことが分かれば,われわれの心は多少なり とも和らぐのかもしれない。 136 Waseda Global Forum No. 13, 2016, 119−138 注 (1) 本 稿 で は テ キ ス ト と し て ド イ ツ 語 版 Über die Einsamkeit der Sterbenden(Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1982)と英訳 The Loneliness of the Dying(London: Continiuum, 1985)を 使用した。ドイツ語と英語の最新版はそれぞれ,Norbert Elias, Über die Einsamkeit der Sterbenden/Humana Conditio(Frankfurt am Main: Suhrkamp, 2002)Gesammelte Schriften Bd.6; Nobert Elias, The Loneliness of the Dying and Humana Conditio(Dublin:UCD Press, 2010, Collected Works of Norbert Elias vol. 6)を参照。後者の序文ではG・ジンメルも死 に関するテーマを社会学で扱ったことが言及されている(p. xii)。なおミシェル・フー コーが本書を仏訳したらしいが,これは正式には出版されていない。この経緯につい ては,Robert van Krieken, Norbert Elias(London: Routledge, 1998), p. 39を参照。仏訳に は,La solitude des mourants, traduit de l’ allemand par Sibylle Muller, et traduit de L’ anglais par Clair Nancy(Paris: Pocket, 1987)がある。なお邦訳として『死にゆく者の孤独』(中居 実訳,法政大学出版局,1990)がある。 (2) The Loneliness of the Dying, pp. 7-8参照。両世界大戦がありながらも20世紀の西洋社会は 中世と比べると,国家の暴力独占・租税独占の拡大によって,人...
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  • Spring '19
  • Jane
  • 死, 社会, 哲学, 文明, エリアス

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