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Unformatted text preview: ● 論 文 ● 『シンボルの理論』におけるエリアス社会学の意義 --言語・知識・芸術・科学 大 平   章 The Significance of Norbert Elias’ s Sociology in The Symbol Theory − Language, Knowledge, Art and Science OHIRA Akira  Abstract The Symbol Theory has a complicated history of its own. Because of a skiing accident Elias had as a young man, he lost his sight in one eye. As he grew older, his sight in the other eye also became worse and worse, and finally he became almost blind. So Elias needed assistants to write down the sentences he orally transmitted. These dictated passages were finally edited and published in book form by Richard Kilminster under Elias’ s instructions. That may be one of the reasons for the seemingly repetitive use of his key concepts and ideas. Nevertheless, The Symbol Theory is a unique book in which we can see Elias’ s arduous attempt to integrate his knowledge of paleontology, archaeology, anthropology and language into a grand sociological theory. What is more important here is not only his keen interest in human language itself used as a means of communication or represented as sound-patterns which are different from those of animals, but also his repeated emphasis on the importance of its symbolic function in creating human knowledge, thought and culture through interdependent or intergenerational networks of speech acts. According to Elias, language is a crucial element in the civilizing process and therefore it should not be separated from nature and culture because human beings acquired linguistic abilities, especially oral and aural abilities, both through their evolutional and social processes. In this book, Elias tries to oppose any dichotomic or reductionist tendencies among philosophers and social scientists such as Descartes, Kant, and Karl Popper that separate subject from object, nature from society(culture), body from spirit, or mythicreligious thinking from scientific thinking. Since ancient times, both fantasy knowledge and scientific knowledge have played an important role for the survival of human beings as groups. Thus like time, language functioning as a symbol can change and develop greatly in human society, constituting what Elias calls a five-dimentional world. The purpose of this essay is to show how great a role Elias played in extending the frontier of the sociology of knowledge under the influence of great German sociologists and philosophers, such as A. Weber, K. Mannheim, E. Cassierer, as well as English scientists, such as C. Darwin, J. Huxley, and C. P. Snow. (1)   ノ ル ベ ル ト・ エ リ ア ス(Norbert Elias) は 共 著 を 含 め生涯,三冊の本を英語で書いたが,『シンボルの理 示した。エリック・ダニングとの共同作業の所産である 『スポーツと文明化−−興奮の探究』(Quest for Excitement: Sport and Leisure in the Civilizing Process, 1986)が英語で書 かれた二番目の書であり,それは,これまで社会学の主 論』(The Symbol Theory, 1991)はそのうちの一つである。 要な研究対象としてあまり取り上げられることのなかっ で 上 梓 し た『 定 着 者 と 部 外 者 』(The Established and the 解明したという点で,画期的であった。一方,エリアス エリアスが J・L・スコットソンと協力して最初に英語 たスポーツの諸相を長期的な過程分析によって理論的に Outsiders, 1965)は,古今東西の階級・階層社会や対立 が他界した翌年に出版された『シンボルの理論』の方は, する諸集団を社会学的に分析する上で重要なキーワード 上記二冊と比べると,エリアスの明確な理論的方向性が になったいわゆる「定着者−部外者関係」の概念を提 一般読者には捉えにくいということもあって,これまで 71 大平 章 :『シンボルの理論』におけるエリアス社会学の意義--言語・知識・芸術・科学 さほど高い評価は下されなかったと言えよう。この書も に問うことはない。エリアスはこの問題を古代社会にお 他のエリアスの著書同様,多少複雑な経緯をたどってい ける時間概念に立ち返って検証しようとする。またこれ るので,そのことに簡単に触れておく必要がある。 は,彼にとって,アメリカ・インディアンには時間観念  エリアスは,若いときのスキー事故が原因で片方の目 がない,アフリカの原住民の時間概念は西洋人のそれと の視力を失っていたが,さらに後年,もう一方の視力も は違うといった素朴な比較文化論の盲点を指摘すること 衰え,ほぼ失明に近い状態であった。というわけで,エ にもなる。本当に彼らはいわゆる「時間」を持たなかっ リアスはその頃,定期的にアシスタントに口述筆記を依 たのか,という問いにはじつは, 「時間」を「山」や「川」 頼していた。最終的には,編集者であるR・キルミンス などの名詞と同等に扱い,それを永久不変の客観的存在 ターがエリアスの指示を仰ぎながら膨大な量の原稿を整 物と見なす現代人の認識上の誤りがある,とエリアスは 理し,一九九一年にそれを出版にこぎつけた。本書の序 (3) 言う。 文は三回に分けて一九八九年に社会学の専門雑誌に発表   つ ま り, こ れ は エ リ ア ス の 指 摘 す る「 状 態 還 元 」 されたが,新しい序文が完成する前にエリアスは帰らぬ 人となった。未完のまま掲載された序文が『シンボルの (1) (Zustandsreduktion)であり,現代人,とりわけ社会科 学者や自然科学者にとってさえもいまだに支配的な認 理論』のこれまでの複雑ないきさつを物語っている。 識方法なのである。エリアスがしばしば使う「状態還  本書は,全体が九章に区分けされ,一連のテーマが段 元」の例は「川は流れる」である。つまり,現代人の多 階的に提示されているが,編者が述べているように,全 くは,「流れない川」などないのに,「川」という名詞と 体的に繰り返しが多く,発言内容に重複が目立つことは 「流れる」という動詞を切り離し,流動変化している現 否めない。しかし,だからといって本書におけるエリア 象をまるで変化しないものとして静的に捉える習慣から スの斬新な試み,つまり,古生物学や人類学の知識を社 抜け切れないのである。簡単に言えば,われわれは「時 会学のテーマに融合させ,新たな知識の理論を構築しよ 間」を「川」と同じく名詞として固定化してしまうので うとする作業の意味が失われているわけではない。むし ある。実際には「時間」とは「時間調節」(英語の time ろ彼の文体は独特の熱気を孕み,知識に関連する総合的 な理論を徹底的に読者の心に刻み込もうとするその姿勢 はこの点でドイツ語の Zeit と違って動詞的な意味を含 む)のことであり,変化する時間をどのような手段で測 は感動的でもある。本書におけるエリアスの最大の関心 定するかという人間固有の疑問であった。そういうわけ は,言語をシンボルと見なし,人類が長期に及ぶ歴史的 で,時代と社会が異なれば,人間の「時間測定」 (timing) 過程の中でそれをいかに伝達してきたか,そしてそれが の方法はさまざまに変わるのである。それゆえ,エリア 人類独自の文化として,科学,文学,芸術などの多様な スにとって,古代会において,あるいはより単純な社 分野でどのように関連してきたかという問題に焦点を当 会(エリアスは評価的な意味を含む原始社会という言葉 てることであった。端的に言えば,それは,個人ではな をしばしば避ける)において神官や僧侶が使う時間観測 く,世代間の知の伝達によってのみ可能になる人間の自 的技術はそれなりの意味を持つ。つまり,種蒔きや穀物 然や社会や文化への認識であり,狭義の言語論ではな の収穫の時期を知らせる太陽の運行に関する神話的,預 い。 言的な彼らの知識は共同社会において一定の価値を,換   エ リ ア ス は す で に『 時 間 に つ い て 』(Über die Zeit, 言すれば,現実的な意味を持つ。この幻想的な知識に彩 1988)においても同様の関心を示している。エリアスは られた彼らの時間概念が中世から,近世を経て現代にい ここでも,時間を普遍的に存在する客観的な事物として たるまでどのように変化したか,もしくはどのようにし ではなく,社会により,また時代によりその意味が変化 てより現実適合的な知識に取って代わられたかを詳しく する人間集団独特のシンボルと見なし,その同様の性質 説明する必要はなかろう。ここでは,天動説から地動説 を言語に投影している。エリアスの言葉を借りれば,時 への変化,ニュートン,ガリレイ,コペルニクス,ケプ 間と言語は人類の「五次元の世界」を表象するものであ ラー,アインシュタインなどの優れた科学者や物理学者 り,動物社会には存在しない人間社会独自の認識手段な や天文学者などのより現実適合的な知識が,人間の共同 (2) のである。 時間の観念をほぼ日常化し,時計や暦を普 社会の時間概念に大きな影響を与えたという指摘に留め 遍的な時間測定手段として共有している現代人は「時間 ておきたい。あるいはまた,その間,人間の社会が,よ とは何か」という問題を自明の理と見なし,もはや真剣 り単純な部族社会や氏族社会から,宗教的共同体を経 72 Waseda Global Forum No. 3, 2006, 71-82 て,市民社会,産業社会,国民国家というより大きな単 の底に火を吐く竜が住んでいるという古代の魔術−神話 位に無計画のうちに統合されたことも時間概念の変化と 的な想像力を現代人は必ずしも一笑に付すことはできな 関連があるかもしれない。ところが,現代人にとって暦 いのである。なぜなら,どのように科学が進歩し,優れ や時計に象徴される現代特有の時間認識はもはや既成事 たテクノロジーが実用化されても,自然の異変をすべて 実化し,まるで「第二の天性」のごとく内面化されてい 人類が克服することは不可能だからである。巨大な津波 る。しかし,これはじつは時間概念の大きな変化であ やハリケーンや地震が今日でも現代人の生活をいたると り,ある意味では「異常な現象」なのである。そのこと ころで脅かしているし,地球の温暖化による人類全体の を思い出させてくれるのは,エリアスが指摘しているよ 危機もある種の不気味な終末観さえ惹起している。現代 うに,秒針の付いた時計をドイツの駅で見た南米の女性 文明がそうした古代の魔術−神話的世界に逆行するはず の驚きである。 はないという確信はない。民主主義が政治的な潮流と  現代人の多くは−−これもエリアスがたびたび指摘す なっている産業の発達した代国家でも政治家が精霊や ることではあるが−−生活に不可欠な時間測定手段とし 英霊にとりつかれることもある。したがって,われわれ て時計を携帯する。現代人にとって数分の時間的な遅れ はここでエリアスが,現代人が絶対的に幸福であると でも生活上の損失につながるのである。とりわけ入学試 か,古代人が不幸であるという評価的な判断を避けてい 験に遅れたり,会社の大事な取引の時間を間違えたりす ることに注意する必要がある。つまり,彼は,時間概念 れば,それが個人の一生に打撃を与えることにもなりか の変化や発展は長期に及ぶ世代間の知の伝達の所産であ ねない。一秒の違いでさえも現代スポーツにおいては勝 り,個人ではなく相互に依存する人間集団が習得を繰り 利を失うことになろう。いったいだれが時間への強迫観 返し,より生存に適した単位へと統合される過程で無計 念に駆り立てられるような人間社会を予測したであろう 画のうちに進行したものと考え,かつその方向は一般に か。個人では時間や言葉を変えることは不可能である。 幻想的知識から科学的知識へと向かうとはいえ,それ 相互依存する人間集団の長期に及ぶ変化がこのような事 ぞれが自律した世界を構築していると見なしているの 態を招来したのである。そのような急激な変化を経験す である。ここでは,『文明化の過程』(Über den Prozeß der る前に何百年,あるいは何千年もの間,人類は魔術−神 話的,あるいは幻想的な知識を支えとして,神官や巫女 Zivilisation, 1939)の中でエリアスが提示した社会学的仮 説,つまり長期的な相互依存の連鎖による文明化への方 や僧侶の預言的な時間概念を信奉していたのかもしれな 向が,シンボルとしての時間概念の発展に呼応している い。現代人は科学的な知識,およびより合理的な時間概 し,さらに,文明化の安定性には絶対的な保証はないと 念を獲得することで生存の機会を大いに広げたのである いったいわば「非文明化」の概念も示唆されている。 が,逆にその利便性に支配され,あるいは強制され,感  こうしてみると,エリアスの『時間について』はある 情的な触れ合いや空想の喜びの多くを失いかねないので 程度,彼自身の一貫した意図の下で書かれたものと言え ある。太陽の運行を金色の馬車に乗った神の移動と見た よう。時間が人間社会総体のシンボルであり,個人的な 古代人の神話的な発想よりも,太陽を燃えるヘリウムの 時間概念である過去・現在・未来という直線的な方向性 塊と見なす現代人の科学的な世界観の方が現実適合的な を超越し,相対化する機能を持ちうるという意味では, 知識という点でより進歩的であるが,D・H・ロレンス 言語も同じく集団的強制力を備えた人間社会総体のシン も指摘するように,現代人は詩的想像力によって可能に ボルなのである。言語は人間社会においては時間と同 なる宇宙との感情的なつながりを失ったと言える。当然 様,柔軟であり,可変的であり,したがって,それは個 エリアスもこのことに気づいていた。 人の主観性を超越する。換言すれば,言語における個人  エリアスは,一般に宗教に無関心な社会学者であると の発話は他者もしくは人間集団の発話がなければ意味が 批判されるが,それがいかに誤りであるかがこうしたこ ない。エリアスにとって,フッサールやベルグソンやハ とから理解されよう。実際,エリアスからすれば,宗教 イデガーなどの現象学者や実存主義者に代表される「純 的知識と科学的知識は分離されるべきものではなく,前 粋意識」や「世界内存在」という観念はいずれもこうし 者から後者への段階的,過程的な変化,もしくは両者の た理由で批判されるべきものとなる。エリアスは「疎外」 共存,あるいはまた後者から前者への逆行が人間社会を という人生経験の非伝達性の原因となる人間の孤独を作 特徴づけるものなのである。したがって,噴火する火山 家ヴァージニア・ウルフの発言にも感じ取っている。思 73 大平 章 :『シンボルの理論』におけるエリアス社会学の意義--言語・知識・芸術・科学 考する人間としての「主体」と思考される対象としての 「客体」に世界を分離する古典物理学のモデルを社会科 トワール」 (etoile),ドイツ語では「シュテルン」 (Stern) という異なった音声パターンによって表現されるのかと 学に応用する還元主義的態度(たとえばカール・ポパー いう素朴な問題から始まる。もちろんその問題は未解決 の科学的事実の理念)も同じくエリアスの批判の対象と である。それぞれの国語の音声には夜空に輝く星を意味 なる。そして,それは突き詰めれば,理性をアプリオリ する要素が内在するのか,あるいはそれは星という実在 な人間の認識能力,生得観念として肯定するカントやデ 物とはまったく無関係の単なる人為的な記号なのか,と カルトの認識論(「われわれ」意識の欠如した「わたし」 いう議論はここではさほど重要ではない。エリアスがソ 意識の絶対性)への批判に行き着く。 シュールの構造言語学の定式に従って,「意味するもの」  『時間について』と『シンボルの理論』はこのように, と「意味されるもの」は違うと言ったとしても,さほど 時間と言語をそれぞれ集団的人間の重要なシンボルとし 議論は進展しない。むしろ,この困難な問題の本質に迫 て,また自然・社会・文化を融合させる不可分の手段と る手がかりは,理解不可能な言葉が話されている国への して位置づけようとする点で共通している。こうした類 訪問者は第三言語がないかぎり,そこの国の人々と言語 似点を前提としてようやく両書におけるエリアスの意図 によるコミュニケーションができない,というエリアス を理解できるが,前述したように,そのような予備知識 の指摘−−だれでも経験的に理解できる事実−−にある。 がなければ,両書は捉えどころのないものであり,実際 これは,言語を手段とするコミュニケーションが人間同 その真価を図ることもむつかしいかもしれない。S・メ 士のコミュニケーションの主要な形態であり,人間社会 ネルは『時間について』をまるでジェームズ・ジョイス には数多くの言語があるということを意味する。ところ の『ユリシーズ』を特徴づける「意識の流れ」を感じさ が,動物には,お互いに危険を知らせ合う鳴き声のよう (3) せる本であると評している。 それを適切な比喩だとす な手段はあっても,音声パターンを複雑に組み合わせた れば,『シンボルの理論』はむしろポスト・モダンの文 コミュニケーションの手段はない。言語によるコミュニ 学にたとえられよう。終わりから読んでも最初ら読ん ケーションは人間社会の際立った特徴であり,人間とい でも,あるいは途中から読んでも,ある程度エリアスの う種のみが保持しているものなのである。そしてその形 結論的な主張に読者は遭遇するし,会話体と散文のスタ 態は人間の歴史的,文化的差異によって無数に変化して イルを織り交ぜたような独特な筆致が彼の本質的なメッ きたのである。そうした事実はまた,人間の言語や文化 セージを繰り返し伝える。しかし,そのある種異様な雰 や思想を人類の普遍的な統一体として捉えようとすると 囲気がかえってエリアス自身の本書に託した思いを強く き,われわれに常に困難な課題を課する。それゆえ,エ 印象づける。参考文献が J・ハクスリーの『人間の特異 リアスがいつも語るように,自然科学者に比べて社会科 性』(The Uniqueness of Man, 1941)一冊ということでは, 学者はあまり満足のいく研究成果を得られないのであ 『シンボルの理論』はアカデミックな論文としての体裁 る。おそらくそれは「バベルの塔」という神話の現実的 を整えているとは言いがたい。しかし,ダーウィンの進 認識なのかもしれない。とはいえ,産業の発達した今日 化論を土台にした生物学の議論に,コント,デュルケム, の主要な国家ではテクノロジーの発展によって地理的隔 ウェーバーの社会学的遺産を絡ませ,さらにはカントや 絶性が減少し,方言の標準語への統一化が進んだり,グ ヘーゲルの哲学の方法を踏まえながら,人間の知識の源 ローバリズムにより「世界の共通語」への需要がますま 泉であるシンボルとしての言語の意義を問うエリアスの す高まったりすることもありうる。ここでは,進化の過 姿勢は十分学問的であり,本書の価値も彼の他の書と比 程で人間が獲得した独特の言語能力が,時間概念の変化 べて何ら遜色はない。 と同じく,人間の長い歴史の過程でさらに変化したとい う事実に注目する必要がある。 (2)  もちろん,こうした言語の変遷には,外的要因,つま り戦争による他民族の征服,多数民族の少数民族への圧  エリアスはシンボルとしての言語の特質に言及する際 迫,帝国主義による植民地支配などの政治的圧力が作用 に,音韻論,統語論,語形論などのいわゆる伝統的な しうることも事実であるが,人間集団や部族集団の文化 言語学のカテゴリーを踏襲しない。彼の議論は,なぜ や宗教に関連する内的要因も含まれていることも否定で 「星」が英語では「スター」(star),フランス語では「エ きない。また,文法的な性や格変化を保持していた言語 74 Waseda Global Forum No. 3, 2006, 71-82 がそうした機能を失うこともある。古代英語から中世英 る。このことはまた,時間概念が人間の社会構造によっ 語を経て近代英語へと進化した英語はその端的な例であ て異なることでも示されたように,人格という文化的要 り,ゲルマン語やロマンス語の祖語として,言語学者が 素が,長期に及ぶ人間社会の変化において,たとえば僧 インド・ヨーロッパ語というより大きな言語単位を上部 侶社会,戦士社会,産業社会の中でそれぞれその構造的 概念として用いるのも,もう一つの例である。こうした 特質と重なることをも意味する。したがって,軍国主義 発見はいずれも言語学者たちの骨の折れる経験的な作業 やファシズムのような暴力を容認する制度の中で育った に基づいて理論化されたものであるが,その因果関係を 人間はその精神を共有しがちである。さらに,人間の社 突き詰めてもあまり意味はない。むしろ,エリアスの言 会的発展は,生物の進化とは逆の方向に進むこともあり 葉を借りて,それを「意図せざる無計画の発展」と言い うるのである。 換えるほうが賢明かもしれない。あるいは,そうした言  なぜ産業や科学が発達した文明社会でホロコーストの 語上の変化を,部族社会,僧侶社会,戦士社会,宮廷社 ような悲劇が起こり,異なる人種や民族の間で暴力が行 会,産業社会という人間社会の継続的な変化の連鎖の編 使されるかという問題は,カントやデカルトの理想的人 み合わせとして捉えることも可能かもしれない。要する 間像からは生まれない。そうした誤りは,エリアスによ に,ここでは,言語はこのように人間の集団社会におい ると,現代人,とりわけ西洋的な理念が浸透した人間が, て,まさに文明化の過程において,あるときは緩慢にま 自然を社会や文化から切り離し, 「精神」と「物質」 , 「主 たあるときは急激にさまざまな形態へと変化してきた 観」と「客観」などの二分法的思考によって世界を理解 し,これからも変化する可能性があるということ,つま することから生じる。その図式は学問の世界にも及び, り,コミュニケーションの手段としての言語は人間の知 研究者はそれぞれ「自然科学」,「社会科学」,「人文科 識のシンボルとして可変的,流動的であるということに 学」という勝手に仕切られた境界の中で,「閉ざされた 注目すればよい。 人間」として「自由な個人」になっているのである。ま  そのことはまた,エリアスにとって,人間を社会から た,「自由な個人」の主体的行為を原点とするパーソン 切り離し,他の動物との関連で「生物」としてのみ扱う ズやウェーバーの社会学のモデル−−あるいはそのモデ 生物学と,人間を動物とは異なる精神的な存在として, ルをコミュニケーションによる相互理解の問題に当ては 自然から遊離させ,もっぱら社会空間のみで生存する めようとするユルゲン・ハーバーマスの方法−−を疑問 「社会人間」として研究する社会学(あるいは社会科学) 視し,「他人依存」,「他人志向」的な人間関係のモデル の不幸な分離を意味する。人間はとりわけ言語をシンボ にエリアスがこだわったのは同じ理由によるものであろ ルとして独特の文化を形成するが,同時にそれ以前の長 う。またほぼ同じ理由で,エリアスはシンボルとしての い進化の過程で動物とは異なる資質や潜在能力を身に着 言語を,われわれが自然と社会(および文化)を区別す けたのであり,この二つの世界はそれぞれが自律した領 るように,思考や記憶から切り離す方法を,つまり言語 域でありながらも同時に相互に関連している,とエリア の個別化を批判するのである。しかし,多くの場合,エ スは考える。したがって,エリアスは直線的な進化論も リアスが指摘するように,比較的長い時間を要する生物 社会ダーウィニズム的な発想も,また,先天的に理性を 学的進化と,短期間の社会的発展の産物である人間の言 備えたあのカントやデカルトの「哲学的人間像」も批判 語上の変化(つまり,進化的刷新をともなう進化の過 するのである。狼に育てられた子供が人間になれないと 程で起こる音声パターンの変化)は,それぞれ生物学と いう例がまさにそれを証明している。子供は大人から習 社会言語学という異なる領域で研究され,シンボルとし 得することによって,つまり,大人の集団の中で育てら ての正しい像を得られないのである。 れて初めて人間になるのである。が,一方では人間の赤 ん坊の脳にはすでに−−若いときに医学を学んだエリア スが実験室で見たように−−動物の脳には見られない複 (3) 雑な構造が備わっているのである。しかし,そうした優  かくして,われわれの多くは,だれが英語を最初に話 れた能力を持つ子供もどのような社会で,どのような大 したのか,という起源神話的な発想に,問題の根本原因 人に育てられるかによって大いに違う精神構造や人格構 をたどろうとする。つまり,そこでは因果性が手がかり 造(ハビタス)[habitus]を体現することになるのであ となる。多くの学問分野ではこうした方法はそれなりの 75 大平 章 :『シンボルの理論』におけるエリアス社会学の意義--言語・知識・芸術・科学 説得力を持つし,依然として価値のあるものと見なされ に,あるいは突然異なる形態へと変化することもありう る。文学者であれば,リアリズム小説からなぜモダニズ るが,そうした発展や変化は,二分法的な発想や「状態 ムが発生したのか,と尋ねるかもしれない。また歴史家 還元主義的」な方法では理解できないことになる。その であれば,フランス革命や産業革命はなぜ,どのような 大きな間違いは,言語を人間の相互に関連する諸領域か 条件の下で起こったのかと問うかもしれない。さらに言 ら,つまり,自然・社会・文化などの次元から切り離 語学者であれば,なぜ英語が国際的な言語になったのか し,独立した対象として扱うことにある。エリアスのシ と問うこともできよう。さらにまたスポーツ社会学者で ンボルとしての言語は,このように静的に理解される言 あれば,同じフットボールからなぜサッカーとラグビー 語とは明らかに異なる。彼にとって,言語がシンボルで が分かれたのか,だれが最初にどのような理由で野球を あるのは,言語が本質的に自然や社会や文化と不可分で 始めたのかという課題に取り組むこともできよう。いず あり,人間の総合的な認識能力の重要な手段だからであ れの場合でもその対象を短期間の準拠枠で分析すれば, る。換言すれば,言語は人間の知識や思考と表裏一体で 何らかの納得のいく答えが見つけられよう。しかし,そ あり,世代間の知の伝達によって変化し,発展する文化 れを少なくとも発展的,過程的な視野で眺めた場合,問 の源なのである。 題の本質は違ってくることになる。起源神話的な誤りの  エリアスの『シンボルの理論』における目的は,「言 多くは,エリアスが指摘したように,われわれが変化す 葉=知識=思考」というモデルで理解されるシンボルと る事象を,変化しない静的なものに還元してしまうこと しての言語の本質を読者に徹底して教えることであり, から生まれるのである。しかし,ここでも人間集団が習 そういう意味では,内容に多くの繰り返しがありながら 得行為によってある文化現象を連続的に一定の方向に発 も,その使命果たしている。端的に言えば,人間集団 展させたという前提に立てば,時間系列の中でその変化 の音声によるコミュニケーションがなければ,人類は比 の度合いを経験的に認識できることになる。時間認識の 類のない科学技術も芸術文化も継承することはできな 例からすれば,時間概念を太陽の運行や月の位置で認識 かったということである。しかし,言語による知識の獲 するより単純な人間集団と,時計やカレンダーで時間を 得は,個人の資質に還元されるべきではなく,種族とし 調節できる産業国家の人間集団の比較が参考になる。エ て,部族として,あるいは国民(あるいは将来は世界市 リアスはエリック・ダニングとの共同作業で,同じよう 民)としてその生存単位を維持するために個人がいやお な過程分析を用いて,古代ギリシャ・ローマから中世を うなしに受け入れる「外的強制」 (Fremdzwänge)であり, 経て,現代にいたるまでのスポーツの変化し,発展する (5) 諸相を見事に捉えた。 経験的な事実から検証される一 つの結論は,個人は一見するとスポーツ集団の原子的構 また習得を通じて,個人が主体的に選択する「内的強制」 (Selbstzwänge)でもある。したがって,それはまた文明 化の過程という運動に従って,古代,中世,現代という 成要素のようであるが,それ自体はスポーツ全体の変化 時間的流れの中で,あるときは急激に,またあるときは を引き起こす力学にはなりえないということ,つまり, 徐々に変貌するのである。こうした長期的な相互依存の スポーツは,無計画の,意図されない全体的な形態の相 連鎖による人間社会の変化(僧侶社会・戦士社会・宮廷 互依存の連鎖によって予想もしない方向へと向かうとい 社会・市民社会・産業社会)は,機能主義的,自己中心 うことである。 的,今日中心的な社会認識のモデル,つまりエリアスが  言語について言えば,音声装置を備え,一定の音声パ 批判した「個人−家族−学校−産業−国家」という従来 ターンを作る資質を先験的に与えられた個人がいくら自 の同心円的な社会像では説明できず,相互依存を繰り返 由に発話行為に参加したとしても,それは言語の全体的 す「諸個人の諸社会」という新しいモデル(形態社会学 な変化にはさほど寄与しないということである。また, 換言すれば,言語全体を音素という最小単位に分解し, 的モデル)によってその手がかりが得られるのである。 (6) これはいわゆるダーウィンの直進的な進化論の所産 それを寄せ集めてみても,コミュニケーションの手段と ではなく,あくまでも人間社会独自の社会発展であり, して使われる言葉の本質は理解できないということにも だからこそ,「文明化の勢い」の逆現象である「非文明 なろう。恐竜が進化の過程で鳥類に進化したように,人 化の勢い」もありうる。したがって,知識の発展は科学 間の言語が長期的な歴史の過程の中で,たとえば,格 文明の発達した現代社会固有の現象ではなく,古代社会 変化を有したある言語が格変化を捨てたように,徐々 から世代間の知の伝達によって漸進的,段階的に進行し 76 Waseda Global Forum No. 3, 2006, 71-82 たものであるという,前提が必要となる。同時にそれは, を持っているとしたら,それは本書がそうした条件をい 文明化が特定の個人の優れた能の賜物ではないという くつかの点で満たしているからであろう。 こと,文明化には明確な出発点が,すなわち「零度」が  その一つは,現実適合的な知識とは何かをめぐる,幻 ないということを意味する。 想的な知識と科学的な知識のバランスの問題である。彼  というわけで,古代社会において,言語を手段とする の言うより単純な社会(原始社会)では,幻想的な知識 コミュニケーションからどのような知識が生まれ,人間 (それに付随するより感情的な態度や表現)が生活に必 集団の相互依存のネットワークによってそれがどのよう 要な手段として大きな力を持つが,そこにまったく科学 に分化し,再生産されて現代にいたったのかという過程 的な知識(それに付随するより理性的な態度や表現)が 分析はエリアスにとって重要な意味を持つ。現代人の時 ないわけではない。その場合,現実適合性が前者に大 間概念を知るには古代人の時間概念を知る必要があった きく傾くのである。逆に,より高度な社会(産業社会) ように,現代人の知識の構造を解明するために,同じく では科学的な知識が社会の性格上,現実適合的である エリアスはシンボルとしての言語が果たす多様な役割を が,まったく幻想的な知識がないわけではない。逆に産 古代人の生活空間にたどることになった。それは現代人 業社会への信頼が揺らぎ,合理的思考への懐疑が深まれ の科学的知識が優れていて,古代人のそれが劣っている ば,幻想的な知識が支配的になることもありうる。ある ということ,つまり,現代の産業社会に生きる人々は文 いは,産業文化への過度の依存は,生活の合理性に中心 明化されているが,昔の狩猟採集社会に生きる原始人は が傾き,感情的なレベルでの表現力が低下するため,逆 文明化されていないという単純な事実を証明することで の方向への欲求が高まることもある。幻想的な文学や音 はなく,また機械文明に毒された現代人は,天真爛漫な 楽の必要性,娯楽やスポーツにおける限界を超えない程 原始人の純粋な人生の喜びを失ったという悲観的な,た 度の興奮の探求がそうである。太陽を光り輝く男神(ア ぶんに評価的な世界観(高貴な野蛮人という信仰)を表 ポロ),月を美しい女神(ディアナ)の化身と見なす古 明することでもなかった。エリアスにとって重要な目的 代の人々は物理的対象を幻想の世界で解釈する習慣から は,人間の知識や思考,ひいては科学や芸術を生み出す 抜け切れないため,感情表現の振幅が大きくなり,対象 人間的資質の芽生えが,言語(音声言語)をシンボルと に対する距離が取れなくなって危険に遭遇することが多 して使った古代の人間集団の生活にあり,それが習得に くなる。しかし,古代人の夢や神秘的な体験は,長い年 よる世代間の知の伝達によって,現代の形に整えられ, 月を経て,あるいは集団的人間の相互依存が新たな人格 さらに未来に向かって変貌する可能性があることを指摘 構造を生み出すことで,科学的合理性へと転化する。空 することであった。 を飛ぶ夢は飛行機や宇宙ロケットの発明の原動力でもあ  テクノロジーの恩恵を受けている現代人にとってみれ る。もちろん,シンボルとしての言語も,シンボルとし ば,言語習得にともなうさまざまな苦労はすっかり忘れ ての時概念がそうであったように,そうした知識の狭 られ,人間の言語能力も自明の理とされる。エリアスが 間で,あるいは社会集団の権力バランスの中で機能が変 『シンボルの理論』の冒頭で例として挙げているように, わる。 われわれは,母国語が通じない外国に行って初めて,言  このように,エリアスの言語論は,言語が幻想的知識 語が文化であることを思い知らされ,母国語を失うこと と科学的知識との相関関係を,もしくはある種の相互依 が自国の文化の喪失につながることを知るのである(実 存関係や相補関係をともなって可変的なシンボルの機能 際,われわれは今日,ある少数民族が固有の言語を失 を果たすというところに特徴がある。以下,エリアスの い,民族の文学やその他の芸術的伝統を失う現状を見て シンボル論の根幹となる見解を挙げてみたい。 いるし,逆に大国に支配されていた少数民族が分離独立 運動を展開し,民族の言葉と宗教と文化を復活させよう としていることも知っている)。しかし,エリアスの場 合むしろ,研究対象へのそうした深い感情的介入を極力 避け,対象から距離を取り,観察に必要な経験的な作業 を優先させることが重要な社会学的作業なのである。も し本書が少なくとも知識社会学の重要な文献として価値 実際,幻想は理性の兄弟である。両者は明らかに同じ茎から 出る人間の枝である。茎は,言語集団のあらゆる成員にとっ て,コミュニケーションの同じ対象を象徴的に表示するため の音声パターンを形成する人間の能力である。そのような社 会的に標準化された音声パターンを相互に送ることによっ て,また,次にそれをお互いに受け取ることによって,言語 集団の成員はお互いに,おそらく世代から世代へと大量の情 報−−それは成員の行動を個別的に知らせるかもしれないし, 77 大平 章 :『シンボルの理論』におけるエリアス社会学の意義--言語・知識・芸術・科学 知らせないかもしれない−−を伝えることが可能になる。も しそれが現実適合的であれば,われわれはそれを合理的と呼 ぶことができる。もし幻想が現実適合性を上回れば,われわ れはそれを非合理的な願望・恐怖のシンボルとして特徴づけ るかもしれない。あるいはそれに関連する多くの表現の一つ を使うかもしれない。両方とも,人間が人間の性格によって, 知識の届く範囲内であらゆるものの記憶のイメージを形成す るために獲得し,特有の音声パターンで強く固定した自由の 証拠となる。この自由は,現在の知識からすると,実質的に (7) は制限がないのである。 その上,一連の実験的な幻想から生じる現実適合的な発見, それが過程から出現することは,過程としてのシンボルとい う性格を明らかにするのに役立つ。シンボルの現実適合性の 問題を克服しようとする際にわれわれが用いる二分法は,単 純化されたものであることが判明する。それは,純粋な発見 に近似するというニュアンスや度合いを正当に取り扱うこと ができない。それはわれわれの想像力を,正解と誤り,真と 偽の二元論,同種の他の二元的思考に閉じ込めることによっ (8) て,不毛にする。 さらに,彼は,古代において起こりえたであろう,火を 持つ人間集団と火を持たない集団との権力格差を,前者 による後者の軍事的征服によって固定化されるものでは なく,しろ,習得による技術や知識の伝達によって 徐々に解消されるものと捉える。  火の使用による人類の比類のない技術的進歩と人間社 会の変化は,エリアスやハウツブロムとは多少違った観 点から,生態学者・環境学者である J・A・リヴィング ストンとS・パインによっても指摘されている。リヴィ ングストンにとってホモ・サピエンスは政治的なイデ オロギーの推進者としてではなく,自然のあらゆる対 象を人間の生存のために効果的に使う「人工補整装置」 (prosthetic device)の創造者として位置づけられる。「人 工補整的存在」としての人類は,動植物を家畜化,栽培 化することによって,自らも家畜となり,自然の征服を 重ねてやがて環境破壊の元凶(彼の言う「狂暴な霊長  こうして,エリアスは,古代人の言語表現とその象徴 (10) 類」)になる,と彼は悲観的な世界像を提示する。 と を非科学的な発想として排除し,現代のテクノロジーと はいえ,彼自身も最終的には,人間が自然を単なる事物 は異質のものとして峻別する二分法的な西洋の思考方法 として見るのではなく,自然と人間の間にある本質的な を批判する。なぜなら,こうした信仰は,カントやデカ 深いきずな,ある種の幻想的なむすびつきを見出すこと ルトの哲学の基本であっただけでなく,自然科学,とり によって,こうした破壊的な状況から自らを救うことが わけ古典物理学的な研究方法のみを真実と見なすカー できると期待する。一方,S・パインは,大規模な森林 ル・ポパーの影響を受けた多くの社会科学者にも浸透し 火災による環境破壊の原因は,一見科学的と思われるよ ていたからである。とりわけ,ポパーの『歴史主義の貧 うな現代の消火活動であり,アメリカ・インディアンや 困』(The Poverty of Historicism, 1957)は社会科学におけ オーストラリアの原住民は火を効果的に使うことで,自 る客観的真実という観点から歴史主義的な方法を全体論 然を再生し,むしろ環境をうまく保護していたと主張 的・預言的なものとして退けた。しかし,生態系の危機 し,古代人の生活の知恵を無視する現代人の態度に批判 がささやかれるようになった現代では,人間中心的,あ (11) 的である。 るいは科学万能主義的な世界像を批判する人類学者,考  科学的な知識への過度の依存によってかえって困難な 古学者,環境学者には,エリアスが指摘したような古代 状況に陥っている現代人−−現代人は資源の枯渇や自然 人と現代人の知識の相関関係の重要性を再認識する動き 破壊を最初から意図したわけではなく,より便利で快適 がある。その最も代表的な人物はオランダの社会学者ヨ な生活を維持するために天然資源を使い,科学的な知識 ハン・ハウツブロムであり,彼はエリアスの「文明化の に依存してきたのではあるが−−に対して,『シンボルの 過程」の理論や知識社会学の遺産を,彼独自の視点に 理論』の最後でエリアス自身も多少ユーモアを交えなが よって環境社会学の方向に発展させている。ハウツブロ ら警告を発している。ここでエリアスは,言語というシ ムの『火と文明化』は,火の技術を人間集団は古代から ンボルによって並外れて現実適合的な知識を獲得してき 現代にいたるまでどのように発展させたか(彼の定義で た,「成功した種」である現代人も,自らを「明化さ はどのように「慣用化」したか)をめぐる興味深い議論 れた存在」として称揚し,逆に過去の人々を「文明化さ であり,農業革命,産業革命,技術革命という発展過程 れていない野蛮な人種」として軽蔑していると,同じよ の中で人類はいかに火の恩恵を受け,逆に火に支配され うに未来の世代から「後期の野蛮人」と呼ばれるかもし ているかという問題−−エリアスの議論では時間という れないと,警告する。 便利な測定手段を見つけながら,現代人はいかに時間 (9) に縛られるかという問題に重なる−−に言及している。 78 自己破壊と数百万年の未来のどちらを選ぶかという将来を考 Waseda Global Forum No. 3, 2006, 71-82 慮すれば,いわゆる現代に比較的,後期の発展という特徴を 帰する支配的な評価は,訂正を必要とする。戦争をいかに防 ぐかをわれわれは習得していないという事実,異なる国家の 成員を相互に大量に殺戮すること,野蛮と呼ばざるをえない ような他の行動形態は,人類の可能な発展という全体的脈絡 において,いわゆる現代が,後期の発展段階であるよりもむ しろきわめて初期の発展段階を意味しているといった仮説を 裏づけるものである。わたしは,わが子孫は−−もし人類が 現代の暴力を乗り越えて生きられるとすれば−−われわれを 後期の野蛮人と見なすかもしれない,という提言が好きであ る。わたしは好き勝手に非難しているのではない。人間はど のようにしてお互いに平和な生活を送るかを習得する長い過 程を経なければならない。われわれが不安定であること,わ れわれが暴力を取り除けないこと,これは習得の過程の一部 である。いかなる教師も身近にはいない。外部から手助けが 現れないのも明らかである…われわれは,戦争の排除に真剣 に係わっている政府がまた繁栄する兵器貿易−−それは他の 国が戦争に備えるのを助長する−−に参加し,かつそれに味 (12) 方するといった状況にはまり込んでいる。 われわれはまだ現代の明らかな矛盾に対抗することを学んで いない。われわれは,人間がより文明化されたやり方でお互 いに生きることができるのをすでに知っている。しかし,わ れわれはお互いに,あるいは少なくとも不規則であれ,われ われの生活の中でどのようにしてそれを実現するかを知らな い。多くが自己抑制と自己実現のよりよいバランスの維持に 依存していることをわれわれは知っているが,そのようなバ ランスを保証する安定した秩序は依然としてわれわれには手 に入らない。それがわれわれより何千年も先の人類の手に入 (13) らないということになって欲しくない。 見なす資格があるのである。多くの善良な個々の人間は 少なくとも,どのようにすれば他者と平和に暮らすこと ができるか分かっているのに,民族として,国民として 限定された文化や宗教に従属するとき,平和を実現する のは難しいのである。国内の暴力はある程度抑制できて も,国家間の暴力は容易に防止できないのである。エリ アスが指摘しているように現代の国民国家に住んでいる 人々は経済的なグローバリズムは理解できても,ナショ ナリズムを超えて平和な世界を構築する現実的な方法を 「習得」し...
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  • Spring '19
  • Jane
  • 社会, 哲学, 社会科学, 文明, エリアス

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